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2020年11月 1日 (日)

「角川映画1976-1986」 みんな若い!/文庫戦争

   

今日は令和2年11月1日。

  

昨晩、この本を読みました。

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「角川映画1976-1986 日本を変えた10年」

(中川右介著/KADOKAWA)

  

読むきっかけになったのは、この時 ☟。

ここでも道草 「復活の日」は「見てから読む」でした(2020年10月11日投稿)

  

10月中に実行しました。

  

この本を読んで、映画を作るにはいろいろな思惑(おもわく)が

あるのだなと思いました。

映画上映によって文庫本を売りたいとか、

お気に入りの新人女優を売り出したいとか、

読んで思い入れがあるものを映像化したいとか・・・。

お金がかかることなのですが、けっこうプロデューサーや監督、

時には俳優といった個人の意見で映画が作られるのだなあとも

思いました。

 

36~46年前のことだけに、誰もが若いです。

今年亡くなった大林宜彦監督、松田優作、草刈正雄、浅野温子、

渡瀬恒彦、夏八木勲、真田広之、みんな若く、自己主張してました。

大林監督はすごく尖った人でした。

俺を使えるなら使ってみろという発言もありました。

そしてチャンスをきちんと掴んできた人でした。

もちろん、薬師丸ひろ子、渡辺典子、原田知世もまだ子どもでした。

   

1971年7月、出版業界最大手の講談社がいよいよ文庫本市場に参

入することになり、角川文庫は最大の危機を迎えていたのだ。

2010年代にはほとんどの大手・中堅の出版社が「文庫」を出して

いるが、1970年代に入るまで、総合的な文庫といえば、岩波文庫、

新潮文庫、角川文庫の3つしかなかった。これ以外にも創元推理文庫、

ハヤカワ文庫、春陽文庫などもあったが、ジャンルが限られていた。

3つの文庫のうち、岩波文庫は古典を専門としていた。新潮文庫は海

外の古典の翻訳もあれば、現役の作家たちの作品まで幅広いが、小説

を中心とした文芸ものがほとんどだった。角川は、創業者の角川源義

が国文学者であったことから、日本の古典が充実していたが、これは

岩波とぶつかり、現役の作家は新潮社がほとんど押さえていたので、

そこから漏れたものを出すしかなかった。「三大文庫」と言われなが

らも、角川は岩波・新潮にはかなり差を付けられていた。

(29~30p)

かくして、文庫戦争が勃発した。

講談社の参入により、これまで新潮文庫や角川文庫に自社で出した本

を文庫化されるのを指をくわえて見ていた他社も文庫市場への参入を

決め、1973年には中央公論社が中公文庫を創刊、74年には文藝

春秋が文春文庫を、76年には集英社文庫と続く。これらの文庫は、

70年代に入るまでは存在しなかった。

(31p)

  

文庫ぐらいしか買うことができなかった高校生や大学生の時に、

背表紙がつやつやした文春文庫、集英社文庫を買った覚えがあります。

このような文庫戦争中だったのですね。

あとは徳間文庫も印象に残ります。

調べたら1980年創刊でした。

今度本屋に行って、文庫本棚の前に立つを、

かつての文庫戦争に思いをはせそうです。

  

  

角川映画は、忘れ去られていた横溝正史をクローズアップさせました。

ユーミンも、映画「ねらわれた学園」(1981年)の主題歌

「守ってあげたい」を歌ってから、ユーミン時代を迎えました。

  

  

こんなことを知った本でした。

私は15歳から25歳だったので、おそらく多感だったから、

角川映画のブームの渦中にいました。

   

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