私は「自己犠牲」「他人ファースト」タイプですね
今日は令和2年11月1日。
さあ11月だ。
昨日の朝日新聞朝刊別冊「be on Saturday」より。
「悩みのるつぼ」のコーナー。
姜尚中(かんさんじゅん)さんに次のような相談がありました。
20代女性です。「友人」との関係性について、姜尚中さんにご意
見をうかがいたいです。
祖母と両親と同居しています。私は小さな頃から家事を任され、学
生時代は友人を作る余裕もありませんでした。社会人になって、S
NSを始め、初めて一緒にカラオケに行ったりする「友人」ができ
ました。
その友人の一人から距離を置こうと言われました。友人いわく「共
依存をやめたい」そうです。友人は恋人と同居を始めるため、ひと
りの時間がなくなるから、とも言われました。
友人はSNSで「自分がどれだけ大変になるか」「自分の時間がど
れだけなくなるか」と愚痴ります。それ自体に罪は無いのですが、
私には心の底から「それは大変だね」と言えず、周りの気遣いの声
に冷めた感情を抱いてしまいます。
祖母は認知症で介護を必要とします。両親は協力的ではなく、私が
世話してきたのですが、私も煮詰まってしまい、実家を出て一人暮
らしをする決心をしました。ただ祖母の介護、家事をしに朝晩は実
家に通う、という条件が付いています。
そんな私は友人の愚痴に、「大変だね」「つらいね」と返す気にな
らず、しかし、不幸自慢をすることも、自分で許せません。友人と
断絶するにはコミュニティーとも縁を切ることになります。私はど
うすれば良いのでしょうか。
この相談に対する姜尚中さんの回答です。
新聞の写真を載せます。
私にとって、ズキリと胸に刺さることががいくつもありました。
悩む人には二つのタイプがあるようです。「自己チュー」の人と「
自己犠牲」の人です。あなたの場合は、どうやら後者のタイプのよ
うです。このタイプの場合、親族や兄弟、友人ら他人がどう感じ、
考えているかを先に慮(おもんぱか)り、自分のことは二の次にな
りがちです。
私はまさに「自己犠牲」タイプで、くよくよ悩んでいると思います。
愚痴りたいのはあなたの方で、それでも聞き役に徹して友人に本音
を語り得ないとしたら、あなたは何事も「他人ファースト」の習癖
が身についているとしか言いようがありません。
そうです。この相談者の女性は20代ですが、私はまもなく60歳。
「他人ファースト」がベッタリ「習癖」になっています。
それがあなたの優しさの表れだとしても、自分がハッピーだと思え
ないでいるはずです。不満がたまり、悩みは雪だるま式に大きくな
るばかりだとすれば、あなたはずっと「不幸な意識」に苛(さいな)
まれることになるはずです。
悩みが雪だるま式に増えていくのは、日々感じることです。
あなたに必要なのは、「自己本位」に徹することです。
「自己本位」とは(中略)何よりもまず、自分自身の中に判断や行
動基準を置き、自分を手放さないということです。と同時に、それ
は肉親にも友人にも「自己本位」があることを認め、それを尊重す
ることを指しています。
「自己本位」に徹する。
単純明快な指示です。
まず「自己本位」の立場で、自分の考えや判断を相手に伝え、その
上で相手の「自己」を尊重し、違いや齟齬(そご)があるなら、し
っかり相手と向き合ってとことん話し合う。そうした間合いの取り
方があなたには必要です。
まずは「自己本位」の意見を表明するのです。
それから相手の意見を聞く。
相手を慮って、自分の意見を引っ込めない。
そもそも成人に達したあなたがなぜ、認知症を患うおばあさまの世
話をしなければならないのでしょう。負担を家族で分担することや、
ケアの制度を利用することはできないのか。そうした可能性を、あ
なたは「自己本位」の立場から、家族に伝えたことがあったのでし
ょうか。
もし、何となく消極的に自分に御鉢(おはち)がまわり、何となく
いつも「貧乏くじ」を引くことになっているとしたら、あなたから
不遇感はなくなることはないかもしれません。
私が昨年休職した理由は、介護の負担が大きかったです。
介護は仕方がないものとして受け入れ、身体はヘトヘトでした。
休職してから、ショートステイを利用するようになり、
負担がぐんと減りました。
なぜ早めにショートステイを利用するということを
考えなかったのか。
私の中にある「自己犠牲」の考えがあったのでしょう。
「とてもできない。他の手はないのか」と考えられなかったのでしょう。
「他人ファースト」の習癖をどうにかしたい。
くよくよ悩む自分を抜け出たい。
この記事や本「還暦からの底力」を読んで、
そう思います。
行動に移したい。
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