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2020年8月30日

2020年8月30日 (日)

「私の考え」④ 「手間暇」をかけた教育

    

今日は令和2年8月30日。

  

前記事に引き続き、

「私の考え」(三浦瑠麗著/新潮新書)より引用していきます。

   

 うちの子は何で〇〇ができないのかしら。この子はなぜ一度で教

師の言う事を聞けないんだ。こうした子たちには、他と同じ行動を

強いるだけではなく、試行錯誤しながらそれぞれに合った指導方法

を考え出していかねばならない。その子たちにはその子たちの良さ

や個性があるのだから。困難だって一つ一つ違う。

 ただその過程で気を付けたいことが一つだけある。困難を抱えて

いる子たちを美化しすぎるあまり、何か特別な才能と引き換えに困

難が与えられているのだと考えてしまいがちなこと。そう思うこと

は、困難に対する具体的な対策を放棄することになりかねないし、

「ダメな子」を受け入れているようでいて、どこかに優れているこ

を要求する安易な態度だと思う。そんなことよりも、字が読めな

子がどうしたら読めるようになったか、集中できない子がどうし

ら何かに集中できるようになったか。そういう経験から科学的に

見を溜めて、共有していくことこそが重要だと思う。

 これからの世界は、集団から立ち遅れてしまう子たちに手間暇を

かけ、そこで得た知見を新しい教育対象へと応用していくことに注

力すべきではなのではないだろうか。平均値を伸ばすことだけでは

なくて、一人一人に合った教育で、全員が自己実現できる社会を作

ること。それが豊かさのフロンティアなのだから。

(164~165p)

  

前記事に引き続き、教育について書いてあった文章の引用です。

特別支援教育について書いてあるように思えます。

何か才能があるのではないかと期待することは確かにあります。

そこを見つけて伸ばしたいと思います。

でも、だからといって、困難に対する具体的な対策を

放棄することはないです。 

三浦さんの言うように、

「手間暇」をかけるのが原則だと思います。

少人数だからできることをやりたいです。

  

  

 (水島治郎さんの)お話の中で重要な点を抜き出すと、ポピュリ

ズムには弊害もあるが、一概に「悪」で困ったものだという考えは

あやまりである、ということ。また、近年は大衆迎合主義という訳

が定着しているけれども、本来は人民主義であって、日本の報道に

おけるポピュリズムの解釈はニュアンスがずれているのではないか

ということ。

(189p)

  

確かに、訳によってイメージが違ってきます。

「大衆迎合主義」だったら、安易さが際立ってしまい、

良くないもののように感じてしまいます。

  

  

以上で「私の考え」からの引用を終えます。

  

  

  

「私の考え」③ 子どもたちは反抗しながらも従いたがっている

    

今日は令和2年8月30日。

  

前記事に引き続き、

「私の考え」(三浦瑠麗著/新潮新書)より引用していきます。

  

 

 トランプ大統領が登場してひとつだけよかったところを挙げると

すると、何か停滞した感じが微塵もしないことだ。彼は、世界は放

っておいたら壊れかねないことを教えてくれたし、このままなんと

なく、社会が似たような均質なところへ収斂(しゅうれん)してい

くのではないかという幻想を打ち砕いた。私たちたちは進歩のため

の努力がまだまだ必要だと気付いたのだ。靴下を手にはめて踊って

いる子どもたちのために。

(84p)

  

※【収斂】=一つにまとまる 

トランプ大統領の「分断」政策は、

全員にあまねく支持を得る方法ではなくて、

一部有権者のためのものでした。

とんでもない大統領だと思いましたが、

熱烈な支持者が存在することに驚きました。

世界にはいろいろな立場の人がいて、

それぞれの考え方があり、共存していたのだと思いました。

その人たちをバランスよくやらなくては、紛争が起こり、

全体が瓦解していく可能性があると感じました。

  

  

次は少々長めに引用します。

   

 そんな活発な子どもに読んであげると、大人しくじっと聞いてい

る本がある。メアリー・ポピンズのシリーズものだ。メアリー・ポ

ピンズは家庭教師(ガヴァネス)といわれる職業婦人で、ロンドン

に住むバンクス家の子どもたちの面倒を見に、ある日突然やってく

る。黒いこうもり傘で空から降りてきたその人は、鼻がツンと上を

向いていて、地味だけどスマートな着こなしをしている。口を開け

ばそっけなく、ぴしゃりとやり込めたり皮肉を言ったりする。子ど

もたちがやいのやいと理屈を言うと、「口を閉じてくださいさっさ

と着替えて、さもないと・・・」というような味も素っ気もない脅

しを突きつけ、子どもたちの質問にはあまり答えない。巷でいわれ

ている最近の理想の子育ての真逆をいくような規律と教育方針だが、

子どもたちはメアリー・ポピンズが大好き。

 一つの理由は、メアリー・ポピンズといるとたまに素敵なことが

起こるから。魔法のようなことが現実に起き、規律正しいメアリー・

ポピンズの印象と真逆に、世間の常識を覆すような行動をしてもよ

いことになるんだ。あべこべベターヴィーさんのように逆さになっ

てみたり、星を空に糊でぴしゃぴしゃと貼付けてみたり、夜の動物

園で動物たちが檻から出てきて会話したり。たわいのないことなの

だけれども、日常の規則や同じことの繰り返しに飽き飽きしている

子どもは、目を輝かせる。

 想像力というのは、伸ばしてやるとどんどん膨らむけれど、やっ

てみないと育たない能力のひとつだ。考え、夢想する時間がないと、

育まれないから。子どもの退屈は、そういう意味で貴重な時間でも

ある。バンクス家の子どもたちには、いままで面倒をみてくれたり

甘やかしてくれたりする人はいても、そんな自由な発想を見せてく

れる人がいなかったのだ。

 もう一つの理由は、やはりある種の規律。こういうと変に聞こえ

るかもしれないけれど、子どもたちは反抗しながらも従いたがって

いる。やはり人間は集団行動が好きなのだ。ただし、そこには尊敬

できる確固とした人がいて、自分たちをきちんと見てくれている、

話を聞くべき時には聞いてくれる、という安心感がなければならな

い。

 集団行動や規律は、私たちの自由を明らかに制限してしまうが、

同時に「自由」を際立たせてくれる。日常生活に張りを与え、そこ

で初めて非日常に意味が与えられるからだ。

(129~130p)

 

教育に関連する内容です。

自分の解釈で、自分にあてはめたい。

  

授業は規律正しくやっていきたい。

教科書代わりの本をなぞるように教えます。

その中に、映像を持ち込んで、非日常の時間にします。

ふだんのテレビ放送でも勉強ができることを示します。

その気になれば、テレビ番組で、

授業で見たことをふくらませることができる可能性を示します。

授業で教えたことなんて、その事象のほんの一部であって、

もっといろいろなことがあるぞと示したいです。

想像することを始めないだろうか。

  

思えば、この方針はずっとずれていない。

「私の考え」② 手間暇をかけた教育・・と言われましても

    

今日は令和2年8月30日。

   

今日の目標は「世界恐慌」の教材研究。

教えたいと思えるレベルまで、いろいろ調べたいです。

  

2日前の記事の続きで、

 「私の考え」(三浦瑠麗著/新潮新書)より引用していきます。

  

 博士課程でイラク戦争を研究している最中、死体や拷問の写真

を見すぎて感覚がマヒしてしまったことがあった。映画と違って、

本物の写真には劇的さは少ない。亡くなってしまった人には尊厳

などないかのごとく、土くれと同じようにただそこにあるだけだ。

自分の感性が鈍くなっていくのではないかと怖くさえあった。

 死んでしまった人たちの耐えられない軽さに比べると、残され

た者の味わう苦しみと衝動はリアルで重たい。いつの世も、報復

感情は戦争の主要なきっかけとなる。

(39p) 

   

昨日見た映画「1917 命をかけた伝令」の死体は、

およそ土くれのように扱われていました。

報復感情については、ガンジーの非暴力を思い出します。

非暴力は簡単ではない。

  

  

 多くの場合、体罰は手間暇をかけられないから生じているのだと

思う。もしこの国が人材は貴重だと感じるのなら、手間暇をかけれ

ばいい。それだけでは協調性や暗記力や耐性が身につかないと思う

なら、色々な方策を試してみればいい。子どもは短時間しか集中で

きないのだから、プログラムのやり方が間違っているのかもしれな

い。それでもついていけない子が出てしまうのなら、プログラムが

向いていないのかもしれない。

(53p)

  

「手間暇」

手間暇はかけてきたつもりですが、

まだ集団の統率力が私にありません。

集団をピリッとさせられないんだよなあ。

この年までやって身についていないのだから、

諦めかな。

それを補うことを目指します。

明日は、世界恐慌のことを1時間、

生徒を集中させることが目標です。

手間暇かけます。

  

  

 NHKのウェブサイトによれば、都道府県ごとに分析したところ、

外国人が増えているのは大都市圏だけではなく、様々な地域で急速

に増えていることが明らかになったという。産業別では担い手不足

が深刻な20代~30代に絞ると、農業で14人に1人が外国人労

働者に頼っており、漁業では16人に1人、製造業では21人に1

人、宿泊や飲食などのサービス業、と続く。三ちゃん農業と言われ

て久しいが、もうこんなに外国人に頼っているのだという事実は、

多くの人にとって驚きなのではないだろうか。

 日本の農家はかなりの数が小規模な兼業農家。稼げる農業は一部

の大規模な農業でしかない。そして、研修生をはじめとする外国人

労働者に依存しているのが、こうした私たちの食事を支える大規模

農家なのだ。

 日々当たり前に目にするもの、口にするものは、彼らの労働力で

支えられている。ありていに言えば、様々な産業の「持続可能性」

を考えると、もはや外国人労働者なしにはやっていけない国になっ

ているということ。

(62~63p)

   

少し前のテレビニュースで、

長野県の高原野菜の出荷作業が映し出されました。

驚いたのは、多くが外国人労働者でした。

私が36年前?に従事した時は、外国人は1人もいませんでした。

今はそのような状況なのかと思いました。

  

退職したらどうするか?

私の頭にすぐに浮かぶのは、高原野菜の出荷作業です。

就職前に体験したあの作業を、再び体験したいと思っています。

それはきっと面白い体験になると思います。

可能だろうか?

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楽餓鬼

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