「豊橋空襲」④ 龍拈寺の山門のみが残った
今日は令和2年7月23日。
前記事に引き続き、
「令和に語り継ぐ豊橋空襲」(岩瀬彰利著/人間社)より。
この本では、昭和20年6月19日~20日の豊橋空襲の、
各地の被害状況が詳細に書いてあります。
龍拈寺(りゅうねんじ)は、本堂などが焼けましたが、山門のみ残
りました。
(103p)
この一文は、以前の記事を思い出させてくれました。
出張のついでに、少し豊橋の街を散歩していて、
偶然、龍拈寺に行きつきました。☟
※ここでも道草 次はしっかり見たい龍拈寺の歴史(2018年8月16日投稿)
山門には再び訪問して、じっくり見ています。
いい機会なので、その時の写真を、ここに載せます。
「吉田山」と書いてありました。
「山門のみが残りました」
つまりこの周囲は、焼け野原だったわけです。
つづく
コメント