「豊橋空襲」⑤ 豊橋空襲の犠牲者の数は1031人。
今日は令和2年7月23日。
前記事に引き続き、
「令和に語り継ぐ豊橋空襲」(岩瀬彰利著/人間社)より。
豊橋空襲で亡くなった人の数について、
岩瀬さんは次のように書いています。
さて、6月19日から20日にかけてあった豊橋空襲では、人的
被害は死者624人、重傷者229人、軽傷者117人にもなりま
した。罹災者は6万8502人で、罹災世帯は1万6009世帯に
もおよびました。昭和15(1940)年の国勢調査における豊橋
市の人口は14万2716人、世帯数は2万8024世帯だったの
で、市民の約48%、世帯でみると約57%が空襲の被害にあった
のです。建物被害は、全焼全壊が109棟もあり、市街地の約70
%が消失したといわれています。
また、空襲後の6月29日には、劣悪な環境によって赤痢が発生
し、またたく間に広がっていきました。赤痢患者数は1459人に
のぼり、そのうち367人もの人が亡くなったのでした。これらは、
空襲関連死と位置づけられます。
昭和20(1945)年にあった小規模空襲で亡くなった人は
40人、豊橋空襲の直接被害で亡くなった人は624人、関連死と
して367人、あわせて1031人が犠牲になりました。
(123p)
6月19日・20日の豊橋空襲のの直接被害で
亡くなった人だけでない1031人という数こそ、
豊橋空襲の被害者の数であると、この本を読んで思いました。
そうでなければ、忘れられてしまう歴史が出てきてしまいます。
以上で、「令和に語り継ぐ豊橋空襲」からの引用を終えます。
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