再読「明治・大正 日本人の意外な常識」⑥ インフルエンザにまじないで対抗した
今日は令和2年5月14日。
前記事に引き続いて、
「明治・大正 日本人の意外な常識」(後藤寿一監修/実業の日本社)
より引用します。
1890年(明治23年)に、アメリカから神戸や横浜に上陸し
たインフルエンザは古風にも「お染(そめ)風」と呼ばれて恐れら
れた。当時はインフルエンザウィルスの存在が知られていなかった
のだから無理もないが、なんと明治の人たちはインフルエンザにま
じないで対抗しようとした。
わずか100年前の日本人がそんな手段で病気を治そうとしてい
たとは、にわかに信じ難い話である。
(185~186p)
どんな話であるか、具体的な記述を引用します。
では明治のインフルエンザはなぜ「お染風」と称されたのだろう
か。諸説あるが次々に感染して拡大する「伝染病」から「染」の字
をとり、歌舞伎や浄瑠璃の物語、「お染久松」のヒロイン、お染と
の連想が結びついたのではないかという説が有力である。
「お染久松」は商家の娘お染と奉公人久松の身分違いの恋を描いた
心中物語だ。人々はその物語の筋にならって、「お染風」から身を
守る術を考え出した。
(186p)
この術がすごい。
「恋しい久松はここにはいないから来ないでくれ」という意味を込
めて「久松留守」と書いた赤紙や、お染のほうから避けることを期
待して、物語のなかでお染が無理やり嫁がされそうになる「山家屋
(やまがや)」の名前を書いた赤紙を門に貼ったのである。
ワクチンがない当時では、このようなほとんど気休めにすぎない
まじないだけが人々にできる唯一の策だった。
(186p)
8年前にこの本を読んだ時よりも、
今回引用した文章は印象に残ります。
医学が進み、環境も整備された現代、
コレラやインフルエンザのような伝染病が広がるとは
ほぼ思っていませんでした。
しかし、今現実、新型コロナウイルスは感染拡大し、
ワクチンがない状態です。
明治時代の人たちの気持ちに近づけたと思います。
今はアマビエ or アマビコにすがろうと思っています。
おまじないです。
以上で、「明治・大正 日本人の意外な常識」からの引用を終えます。
コメント