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2020年5月14日 (木)

再読「明治・大正 日本人の意外な常識」⑤ 男性も女性も断髪するには勇気がいった

  

今日は令和2年5月14日。

  

前記事に引き続いて、

「明治・大正 日本人の意外な常識」(後藤寿一監修/実業の日本社)

より引用します。

  

 

明治時代の文明開化の象徴の一つが、男性の断髪。

髷(まげ)を落とすことでした。

  

 断髪に対するさまざまな葛藤や攻防が繰り広げられるなか、断髪

の広まりによってよく売れた品物があった。それは帽子である。今

では日よけファッションのひとつとして用いられている帽子だが、

当時は、髷の亡くなった寂しさを紛らすためにと、売り出されたの

である。

 案の定帽子はよく売れたのだが、帽子を買ったのは髷の寂しさを

埋め合わせる人たちばかりではなかった。その反対に、どうしても

断髪に踏み切れず、残した髷を帽子をかぶって隠した人たちも少な

くなかったようだ。

 旧弊とされたちょんまげを隠すために洋装の帽子を用いたという

皮肉な話も、いかにも明治時代らしい逸話である。

(148~149p)

  

価値観なんて、時代で変わるんだなと思った逸話です。

  

  

 日本では、古代以降、長い黒髪は女性の象徴とされ大切にされて

きた。明治時代に入ってもその考えは変わらず、長い髪を束髪など

に結い上げるのが一般的であった。

 その後、女性の社会進出も手伝って、大正時代に入るとその長い

髪をばっさり切る女性たちが現われはじめる。

 ところが、現在では一般的といえる女性のショートカットに対し、

当時の人々は今では考えられないような反応を見せている。

 断髪の元祖と呼ばれる読売新聞記者だった望月百合子が初めて断

髪して銀座を歩いたとき、行き交う人々からまるで見せ物小屋の猿

を見るように奇異な目つきでみられ、呆れられたという。(中略)

 当時の人々にとって、髪の短い女性の存在は信じられないものだ

ったに違いない。

 実際、断髪をする女性に対する社会の反発は根強く、断髪の女性

は嫁の貰い手がなくなると毛嫌いされた。また、女学校でも断髪に

するだけで退学を命じられた例があったというから、当時の女性が

断髪をするには相当の勇気が必要だったことがわかる。

(150p)

  

「退学を命じられた」

それはすごい。

100年後にビックリされるような価値観が、今もあるのだろうか。

そんなことを思いました。

  

  

 近代化が進むにつれ、望月百合子のように、果敢に新しいスタイ

ルに挑戦する女性たちが続々と登場する。彼女たちはモダンガール、

略して「モガ」と呼ばれた。

 これに対応して男性はモダンボーイ、略して「モガ」と呼ばれた。

 モガはカンカン帽子、オールバックの髪型ともみあげ、ちょびひ

げ、縞や格子の柄の洋服にステッキをもった姿がトレードマークだ

った。

 一方、モガはショートスカートにハイヒールの靴など外国の女優

をモデルにしたスタイルが多かったが、なにより髪を断髪にするこ

とが第一条件であった。そのため着物を着ていても断髪であればモ

ガと呼ばれた。

(150~151p)

 

Epson321_2 (145p)

Epson322 (151p)

  

文明開化の時期の男性の断髪、

大正時代の頃の女性の断髪のこと、

今なら授業で話すことができます。

 

  

次はいよいよインフルエンザのことを記事にします。

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