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2020年5月14日 (木)

再読「明治・大正 日本人の意外な常識」④ 「毛布=赤」のイメージの理由

   

今日は令和2年5月14日。

  

前記事に引き続いて、

「明治・大正 日本人の意外な常識」(後藤寿一監修/実業の日本社)

より引用します。

  

 

 今では寝具としてすっかり一般的になった毛布だが、もともとは

開国とともに開国とともに海外から日本に持ち込まれたもの。英語

のブランケットを略して「ケット」と呼ばれることが多かった。

 当初は日本に入ってきたこの毛布はほとんどが赤色をしており、

明治初期の陸軍でも兵卒の寝具はやはり赤い毛布だった。その防寒

・防湿の特長からマントの代用として用いられ一人につき4枚支給

された。

 その後、巷にも赤い毛布が出回り、人力車の腰かけやひざ隠し、

芝居の桟敷、茶店の床几(しょうぎ)など、至るところにこの赤い

毛布が使われるようになった。

 1993年(明治26年)頃からは日本国内でも毛布が生産され

るようになるがしれもまた赤い毛布、当時でいう「赤ゲット」だっ

た。こうして日本では、毛布=赤という認識が定着していった。

(106~107p)

  

今の若者はバラエティ豊かな毛布を見ているかもしれませんが、

私のイメージは「毛布=赤」です。

納得です。赤は暖かい色なので使われたのかな。

 

ついでに「タオルケット」が気になって調べました。

Wikipediaによると次のように書いてありました。

  

厚手のタオル地で作られた身体の上にかけて、

あるいは身体をくるんで使用する寝具である。

タオルケットとは、タオル(英: towel)と、

毛布を意味するブランケット(英: blanket)を

掛け合わせた和製英語である。

英語ではコットン・ブランケット(cotton blanket)と呼ぶ。

 

「タオルケット」は和製英語だろうなと思って調べました。

予感は当たりました。

 

  

  

日本に列車が走るようになったのは、1872年(明治5年)。

日本の列車には1888年(明治21年)まで、

トイレがありませんでした。

  

 当時は走行距離が短いため必要がなかったこともあるが、なによ

り動く列車にトイレをつけるなど考えもつかなかったのである。

 しかし明治も半ばになると、路線も延長され、長距離列車を楽し

む人が増えてくる。今日では列車に乗るときにわざわざトイレ事情

を気に留める人はごく少数だろうが、明治の人々にとってトイレの

問題は非常に切実だった。列車にトイレがないのだから、用を足す

ためには短い停車時間のうちに駅のトイレへ駆け込むしかなかった

のだ。出発時ともなれば発車間際の列車に飛び乗る人々が続出する

ため、危険も取りざたされるようになった。

 そしていよいよ官営鉄道がトイレの導入を検討していた矢先の明

治21年、ついに事故が起こる。停車中に駅で用を足した後、走り

出した列車に慌てて乗り込もうとした政府高官が列車への飛び降り

に失敗、転落死してしまったのだ。

 この事故を受け官営鉄道は当初の予定を半年早め、急きょイギリ

スからトイレつきの客車を購入し、東海道本線で走らせている。以

後、トイレ付客車が純次導入されていくことになった。

(117p)

  

資料:日本の列車トイレの歴史

この資料には次のように書いてありました。

本とは年数が1年ずれます。

 

1889年(明治22 年 4 月 27 日)宮内省の

肥田浜五郎氏が藤沢駅でトイレ行ったところ列車が発車してしまい、

あわてて列車に飛び乗らんとしたが乗りそこない

転落死亡する事故がありました。

肥田氏は当時政府の高官であったため、

新聞社がこぞって列車トイレの必要性を書き立てました。

  

 

亡くなった人の人名、現場の駅もわかって

出来事がよりリアルに伝わってきました。

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