「美しき愚かものたちのタブロー」② もう2人の主人公 田代雄一 日置紅三郎
今日は令和2年3月29日。
前記事に引き続き、
「美しき愚かものたちのタブロー」(原田マハ著/文芸春秋)
より。
とにかく、松本幸次郎は、田代がそれまでに会ったどんな人物とも
違っていた。世界を渡り歩いて仕事をする姿勢も、桁外れの財力も、
とことんまっすぐな性格も。
また、非常に強い好奇心の持ち主であることもわかってきた。知ら
ないことは、是非とも知りたい。行ったことがないところには、率
先して行ってみたい。やったことがないことならば、まずはやって
みたい。この好奇心こそが、松方幸次郎の核心となって彼をかたち
作っている。
そして、その好奇心が常に新しい体験を求め、それを吸収し、日々
学んでいるのだ。
経験を重ねたからといって老獪(ろうかい)にならず、「面白いじ
ゃないか」と少年のように心躍らせることを恥じない。
普通は、なかなかそうはいかない。経験を積めばずる賢くもなるし、
大のおとなが欣喜雀踊(きんきじゃくやく)するなど恥ずかしくて
できるものではない。
(174p)
好奇心は大事ですよね。
「欣喜雀躍」は初めて見た四字熟語。
1891年、父・(松方)正義が内閣総理大臣に就任し、第一次松
方内閣を組閣する。松方は首相秘書官となり、父を政務を支えるこ
とになる。
しかし第一次松方内閣は短命であった。組閣直後に来日中のロシア
皇太子が巡査に襲撃される「大津事件」が発生、いきなり冷水を浴
びせられた。翌年の総選挙も混乱をきたし、結果、わずか1年3カ
月で松方内閣は退陣となった。
(200p)
社会科教師だと、こういう文章に反応してしまいます。
「大津事件」について復習。
こんな文章がありました。☟
小国であった日本が大国ロシアの皇太子を負傷させたとして、
「事件の報復にロシアが日本に攻めてくる」、
と日本国中に大激震が走り、さながら「恐露病」の様相を呈した。
学校は謹慎の意を表して休校となり、神社や寺院や教会では、
皇太子平癒の祈祷が行われた。ニコライの元に届けられた
見舞い電報は1万通を超え、山形県最上郡金山村(現金山町)では
皇太子を襲った巡査名が、津田三蔵でした。
この時にも学校は「休校」していました。
ほらほら、おもしろい歴史の勉強ができました。
林忠正(はやしただまさ)
(240p)
19世紀末にパリに本拠地を置いた画商。
原田マハさんの「たゆたえども沈ます」の主人公が
このページに名前が出てきました。
(松方幸次郎は)とにかく机上の空論が嫌いなのが性分である。や
るとなったら 実現のために自分が動き、廻りも動かす。それが松
方のやり方であった。
(247p)
私も、思いついたら、なにか始めないと
気が済まないところはあります。
これはいい性分だと思っています。
廻りを動かすところまで行くのは簡単ではありませんが。
この小説の主人公は、3人です。
松方幸次郎と、田代雄一、日置虹三郎です。
松方幸次郎は実在する人物ですが、
あとの2人はどうなのだろうと思っていました。
そしたら次のサイトが参考になりました。
※なぎさの書籍紹介 原田マハ『美しき愚かものたちのタブロー』ほぼ実話!国立西洋美術館設立までの冒険
実在した人物がモデルのようです。
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