« 2020年1月16日 | メイン | 2020年1月18日 »

2020年1月17日

2020年1月17日 (金)

「校則なくした中学校~」⑤ 自分のとんがったところを磨く

  

今日は令和2年1月17日。

  

前記事に引き続き、 

校則をなくした中学校 たったひとつの校長ルール

(西郷孝彦著/小学館)よりひたすら引用します。

  

「エッジを立てる」ということ。

前例をそのまま授業に取り入れたり、他の優秀な教員の方法を

まねしてみるのも一つの方法ですが、自分の得意分野を生かす

ことも大事です。できないこと、不得意なところに目を奪われ

て、自信をなくす必要はありません。自分のとんがったところ

を探して、それをとことん磨くのです。これは子どもたちにも

常々言っていることです。

(161p)

  

管理職になって学校を変えることはできませんが、

「エッジを立てる」ことはできる可能性があります。

とんがったところは、

社会の授業、映像を使った授業、特別支援の授業かな?

だから一番いいのは、特別支援学級で映像を使って

社会科の授業をすることです。

う~ん、タブレット端末も絡めたい。(欲張りですね)

残りわずかの年月ですが、

とんがった(出っ張ったぐらいかな)ところを

磨いていきたいです。

    

  

生徒がしたいことをしたい時にさせてあげる。

これは本当に大事なことだと思っています。

実際に、こんなことがありました。Pくんが家から麻雀牌を持

ってきたのです。Pくんはゲームの麻雀は知っているけど、本

物の麻雀はやったことがありません。でも「家に麻雀牌があっ

たから」とわざわざ学校に持ってきた。ということは「麻雀を

やりたい」ということです。だったらやらせてあげよう。Pく

んを見て教員らはそう考えました。

(184p)

 

実際に、学校の廊下にテーブルが用意され、

通りかかった子らが参加して麻雀が行われました。

  

いったい麻雀を学校でやることに何の意味があるのか。

そう思う人もいるでしょう。

たしかに、何かの役に立つかと問われたら答えに窮します。

将来、何かのプラスになるかもしれないし、ならないかもしれ

ない。でもそれでもいいと思っているのです。大事なのは「や

りたい」という気持ちを尊重してあげることなのです。「何か

やりたい」と自分の意志を表現することは、心を閉じ気味な子

どもからすれば大変な冒険です。

何かに行き詰っている子は、このことをきっかけにそれを打開

できるかもしれない。うまく心を開けない子は、一緒にやりた

いことができたことで、周囲との距離を少し縮められるかもし

れない。

きっとPくんもうれしかったと思います。だって、麻雀を付き

合ってくれる子が現れたのだから。

(186p)

  

いまの世の中は、「やりたいこと」を見つけにくくなっていま

す。子どもたちは、触れる情報があまりに多く選択が難しい上

に、ゆっくり考える時間がありません。自分が何をやりたいの

か、見つからなくなっているのです。

だからなおさら、それが麻雀であってもモデルガンであっても、

なんでも「やりたことをやらせてあげたい」と思うのです。「

やりたいと思ったらできるんだ」と思えば、本当にやりたいこ

とも見つかるかもしれません。「やりたい」と口にするハード

ルも下がるのではないでしょうか。

(189p)

   

私ができることで、子どもたちに

「やりたいと思ったらできる」体験をさせたいなあ。

もちろん私もその体験をしたい。

ブログでもいろいろな種類の「やりたい」をつぶやいてきました。

それを実際にやることを重視しているつもりです。

やっぱりやりたいと思ったことは、

生きているうちに何とかやりたいのです。

諦めない。

  

以上で、「校則をなくした中学校 たったひとつの校長ルール

からの引用は終了。

同僚の先生、読んでみてください。

同志が欲しい。

「校則なくした中学校~」④ 「宿題がない理由は明快です」

  

今日は令和2年1月17日。

  

前記事に引き続き、 

校則をなくした中学校 たったひとつの校長ルール

(西郷孝彦著/小学館)よりひたすら引用します。

  

  

「校則という規範がないと、先生によって言うことが違ってく

るんじゃないか」

こんなふうに言ってくる人がいます。

それでいい、と私は考えています。それこそまさに、「社会」

ですよね?

(57p)

  

そう、それこそ「社会」です。

  

  

多くの公立中学校では、不要な校則を生徒に守らせるために、

教員は膨大な時間を「生徒指導」に割いています。そしてこう

した指導によって、教員と生徒の信頼関係が壊れています。悲

しいけれど、これが現実です。いったい誰が得をしているので

しょうか。

(63p)

  

  

「教員採用試験に受かったら、一生安泰」という考え方は、言

い換えれば「一生教員を続ける」ということです。これではい

ざという時に逃げ道がありません。

「ずっとは教員の仕事をやらないかもしれない」

「いつか転職しよう」

と考えると気が楽になります。いま問題になっている、教員が

心の病になってしまうケースが減るのではないでしょうか。

転職して、別の社会の空気を吸ってくるのもいい経験です。そ

れで「また教員をやりたい」となったら、戻ってくればいい。

社会経験は、教える上できっとプラスになるはずですから、教

員免許があればそれが可能なのですから、もっと気楽に考えれ

ばいいと思います。

(66p)

 

  

今回の休職は、辞めることを本気に考えました。

他の職業も考えました。

でも11月下旬に「また教員をやりたい」という気持ちになり、

いまに至っています。

「社会経験」ではないけど、

この「休職経験」をプラスにしたい。

  

   

  

宿題がない理由は明快です。宿題を出しても、あるアメリカで

行われた調査にもあるように、学力は上がらないのです。また、

ワークや問題集のように、同じレベルの宿題を全部の生徒にや

らせることはナンセンスです。宿題を出すのであれば、それぞ

れの生徒のレベルにあった宿題を出すべきです。強制して宿題

をやらせても嫌々やるだけで、モチベーションが上がらないの

で、なかなか成果が出ないのです。

(117p)

  

  

宿題をこうやって考えたいです。

中学校ならなくてもいいと思います。

  

  

若い教員には「将来、管理職を目指しなさい」とも言い続けて

います。もし、自分が赴任した先の中学校で、いろいろなこと

に疑問を持ってーーたとえば桜丘中学校のように校則をなくそ

うと思っても、一教員ではなかなか難しい。校長でないと変え

られないことは多いのです。校長でないなら、教育委員会でも

いい。若い頃から授業や法律をきちんと勉強して、教育界を変

えなさい。そして世界を変えなさい、と。

(149p)

  

  

私は管理職ではないので、学校を変えることは無理なのですかね。

病み上がりの教師の話は広まらないかな。

でも、この本に書いてあることは正しいことであり、

そうなるべきだと思うんだけどなあ。

ほぼ1年前に読んだ「学校の『当たり前』をやめた」も

ほぼ同じ発想のやり方で、中学校を変えていました。

ここでも道草 「学校の『当たり前』をやめた。」その1/教師は今も時代の最先端でありたい(2019年2月10日投稿)

この2冊は購入した本です。

いつも身近にあります。

読み直して、自分がぶれないようにしておきたいです。

  

つづく

「校則なくした中学校~」③ 思考停止して耐え忍ぶようになっていく

 

今日は令和2年1月17日。

  

前記事に引き続き、 

校則をなくした中学校 たったひとつの校長ルール

(西郷孝彦著/小学館)よりひたすら引用します。

  

  

生徒たちは、小学校6年間で、教員から指示されることに慣れ

きっています。「指示を守る子」が「いい子」とされてきまし

た。「先生の考えとは違った自分の考えを主張する子」は、集

団の規律を乱す子と否定されてきたのです。でもそうでしょう

か?

社会に出れば、「自分で考え、判断する」ことが求められます。

指示を待っていても、人生は、前に進んでいかないからです。

私の尊敬するアップル創業者のスティーブ・ジョブズがその代

表的な例ですが、むしろ「自分の考え=アイデア」を持ってい

る人間こそが、最後は社会からも評価を受けます。

だったら、自分で考えるクセを早くからつけるべきではないで

しょうか。しかし、教員が指示を出し続けている限り、生徒は

考えなくなります。自分で考える必要がな、むしろ自分の意見

を言うと「生意気だ」と言われて損をするからです。

(49p) 

  

  

私は校則の存在そのものを否定しません。

たとえば、厳格な規律で知られるミッション系の私立中学校が

あります。こうした学校は規律=校則そのものが、校風になっ

ています。靴下やセーターも指定されたものしか許されないな

ど細かく決まっている場合が多いですが、そういう見た目もま

た、その学校のカラーです。生徒たちも、その校風に憧れて門

をくぐります。

でも公立中学校は事情が異なります。

公立中には、さまざまな生徒がやってきます。私立と違って、

子どもたちの多くは選んできたわけではありません。たまたま

その学区に住んでいただけです。

そういった多種多様な生徒たちに、理不尽な校則を強制すると

どうなるでしょうか。無用なストレスを与え、情緒を不安定に

しかねません。ストレスからいじめに走る子も出てくるでしょ

う。それだけではありません。過度なストレスは記憶力の低下

を招くことが、いろいろな研究で明らかになっています。

(55~56p)

  

  

そしてこの本で最も印象に残った文章を引用します。☟

  

さらにーーこれがいちばんの問題なのですがーー子どもたちは

やがて、論理的に考えることを放棄してしまいます。そして、

矛盾がある不合理な規則であっても、単に思考を停止して耐え

忍ぶようになっていきます。「先生の指示を守る」ことのほう

が、無用なエネルギーも消費せず、周囲に波風を立てないから

です。

虐待を受けた子どもたちの多くは、自分の持てる力のすべてを

使って虐待環境に適応しようとします。自分を守るために、感

情や思考、行動を抑制し、無反応になっていくのです。いわば

すべて諦めて無気力になってしまう。極端な言い方をすれば、

理不尽な校則を押しつけ続けると、生徒たちの多くは、虐待児

と同じように無気力な子どもになってしまいます。

(56p)

  

「思考停止」「無反応」

こんな状態にいつの間にかしていないか、

気をつけないといけないと思います。

 

さらに思うのは、自分自身が

「思考停止」になっていないかということです。

諦めて、波風立たないように時を過ごしていることをしていないか。

大人の集団でも、思考停止はあり得ます。  

いろいろなプレッシャーで、思考停止していた自分を思いだします。

もう思考停止したくない。

「校則なくした中学校~」② 「生徒を怒鳴ることはやめましょう」 

  

今日は令和2年1月17日。

  

前記事に引き続き、 

校則をなくした中学校 たったひとつの校長ルール

(西郷孝彦著/小学館)よりひたすら引用します。

  

 

仲良しごっこを続けているよりも、一時的にもめたとしても、

本音を言い合ってそれを乗り越えたほうが、さらに深い関係が

築けると、私は考えます。

裏を返せば、喧嘩や言い合いをせず、ずっと仲良しでいるのは、

大半が表面だけの付き合いです。いったん破綻したあとに修復

できれば、もっと仲良くなれるケースが多いといえます。本当

に好きな人、自分が仲良くしたい人であれば、何としてでも修

復したいと思うものですし、喧嘩で相手の本音を知れば、相手

をより深く理解できます。

本気の衝突や喧嘩を経て成長した子どもは、強いですよ。

なぜなら、「人間は必ずしも言葉と感情が一致する時ばかりで

はない」と身をもって理解できるようになるからです。

たとえば「バカ」と罵倒してきた同級生が、「実はかまってほ

しいことを素直に伝えられないだけではないか」などと、言葉

の背景にある感情を察せられるようになります。結果、最終的

に無駄ないさかいは減っていきます。

(26p)

  

  

「ゆうゆうタイム」というのは、子どもたちが話をしたい教員

やカウンセラー、職員とゆっくり2人だけで話ができる、とい

う時間です。年に2回、放課後に時間を設定して、事前に申し

込んだ教員と教室で話をします。

(27p)

 

「ゆうゆうタイム」で生徒から総スカンを食らった教員はどう

なるのでしょうか。

これが見事に変わるのです。「これではいけない」と思うので

しょう。そもそも、子どもが好きでこの仕事を選んだ人がほと

んどなのです。それなのに子どもたちから避けられる。自分に

問題があると考えざるを得ません。

ではどうするか。

私は「本当の自分を出しなさい」とアドバイスしています。こ

れまでは、「教員とはこうあるべきだ」と考え、構えていたの

でしょうね。取り繕うから、人によって態度も違って見えてし

まう。

私たちは、教員である前に、ひとりの大人です。大人である前

にひとりの人間です。子どもたちの前で教員として振る舞うの

ではなく、本来自分が生きてきた「素」の自分でいるのです。

いいところも悪いところも包み隠さず、ひとりの人間として、

子どもに対峙すればいいのです。

取り繕わない素の自分で、思い切ってぶつかっていくと、子ど

もは寄ってきます。子どもたちは、教員としてではなくて、人

間としての自分に魅力を感じるのです。教員と生徒という関係

性はこれで一旦まっさらになり、対等な関係をつくることがで

きます。

(31~32p)

  

   

怒鳴ることなく、素で勝負したいです。

この先生の言われるように、素で十分なはずなのです。

  

 

たとえば校則の廃止。

「校則なんてきゅうくつだ。だから全廃しよう」という教育論

を金科玉条のように掲げて校則を廃止したのではなく、「子ど

もたちにとって、幸せな3年間を送らせるためにはどうしたら

いいか」ということを考え、議論に議論を重ねていったその結

果、そうなったということです。

(39p)

  

「子どもたちにとって、幸せな3年間を送らせるため」は、

この本の中で幾度か出てきます。

原則です。

  

  

怒鳴った経験がある人はわかると思いますが、怒鳴って気持ち

のいいことはありません。怒鳴られている生徒も気分が悪い。

つまり、どちらにとってもマイナスです。公衆の面前で怒鳴れ

ば、周囲も嫌な気持ちになります。誰も得をしていません。

では、怒鳴らないようにするためにはどうしたらいいか。

まずは朝礼を見直すことにしました。

「生徒がざわついてもかまわないから」

と教員たちに言いました。生徒が騒ぐとしたら、朝礼台の上か

ら私が発している話が、つまらないからです。面白い話だった

ら、きっと耳を傾けるはずです。

「もし生徒がうるさくしていても、それは私の話がつまらない

せい。だから生徒を怒鳴ることはやめましょう」

私自身も生徒が思わず聞き入るようなとっておきの面白い話を

準備しました。

「朝礼できちんとさせること」が学校生活でいちばん大事なこ

とではありません。いつの間にか、学校全体で大事なことを見

失っていたのです。

ではいちばん大事なこととは?

それはただひとつ。

子どもたちが、幸せな3年間を送ること。それだけです。

とはいえ、染みついてしまったものは、なかなか変えられませ

ん。

「子どもは管理するものであり、教員が指示をだすもの」

こういう固定観念が教員の中にあるのです。

実際、教員たち自身の多くも、そういう教育を受けてきました。

悪しき学校文化です。

言うことを守らせることが自分の役目だと思い込んでいる教員

にとって「大きな声を出すな」と言われることは、理不尽でし

た。彼らは「きちんとさせたい」と思っているのです。使命感

から怒鳴っていました。私が言っていることは、「きちんとさ

せなくいていい=教員として振る舞わなくていい」と聞こえた

はずです。

(43~44p)

  

  

こういう方針の学校になってほしいと思います。

どの学校も。

  

  

つづく

「校則なくした中学校~」① 「まだ間に合います」

今日は令和2年1月17日。

1997年のこの日、阪神淡路大震災が起こりました。

  

次の本を読破しました。

71wnf1ylabl amazon

校則をなくした中学校 たったひとつの校長ルール

(西郷孝彦著/小学館)

    

舞台は、東京世田谷区立桜丘中学校。

この本で描かれているような中学校ならば、

生徒は居心地いいと思うし、

教師も自分らしさが出すことができて

過ごしやすいだろうなと思います。

ヒントというか、見本が書いてある本です。

どの中学校も、こうしましょうよと思って読みました。

  

購入した本で、手元にある本ですが、たくさん引用したいです。

  

  

この本では、そんな桜丘中学校の生徒たちのキセキを描きまし

た。でもこれは”奇跡”などではありません。

どんな学校でも、どんなご家庭でも、まだ間に合います。

子どもたちは必ず、本当の自分を取り戻すことができます。

桜丘中学校の生き生きとした子どもたちを、どうかあなたご自

身の目でご覧ください。

(はじめに)

  

「まだ間に合います」

が魅力的ですが、私には残された年数が少ないし、

管理職でもないし・・・でもこうなってほしい姿が

載っている本です。

  

  

前年度の生徒総会で「定期テスト廃止」が議題にのぼり、全会

一致で採択されたことをうけ、桜丘中学校では2019年4月

から、中間考査や期末考査といった「定期テスト」が廃止とな

りました。生徒との約束を守ったのです。代わりに導入された

のが、10点満点の小テスト「積み重ねテスト」です。

授業の8時25分から45分までの20分間は、「学習の時間」。

週3日程度、小テスト(1日1単元)を実施します。100点

満点の定期テストの代わりに、各教科10点×10回もしくは

20点×5回のテストで到達した学力が測られます。

「楽勝、楽勝」

「あちゃー、できなかった」

「再テストで勝負だ!」

テストが終わると、あちこちで声があがります。

後日放課後に受けられる、敗者復活の「チャレンジ・テスト」

も用意されているので、それほど落ち込んだ顔をした生徒は見

当たりません。ちなみに、通知表の成績には、良いほうの点数

が反映される仕組みになっています。

(12~13p)

   

  

1年生のクラスを目にした人の中には、あまりの騒がしさに、

「学級崩壊じゃないか」と思う人もいるかもしれません。

でも毎年、桜丘中学校の1年生の教室では、これが普通です。

教員は、大きな声を出したり、威圧的態度をとりません。

桜丘中学校の1年生の教員たちは、ゆっくりと子どもたちの成

長を見守ります。ここで、頭ごなしに叱ってしまうと、表面上

は大人しくなりますが、心を閉じてしまい、信頼関係を築けな

くなるのです。しかしゆっくり長い目で愛情をかけていると、

2年、3年と学年が上がるたびに落ち着いていく。そのことを

教員たちはわかっています。子どもたち自身が生まれながら持

っている「よく生きよう」というプログラムが発動するのを待

っています。

(15p)

 

  

登校時間は自由です。この子たちに限らず、この学校では遅刻

を注意されることはありません。学校に何時に来てもいいので

す。生徒たちにとって、まず学校に来ること自体が大切だと考

えているからです。

(16p)

  

   

みんなの会話の中に、1年男子生徒が突拍子もない下品なネタ

で割り込んできました。

「そんなことばかり言うから、嫌われるんだよ」と私。

「そんなことないよ、おれはきらわれてないもん」と、目をそ

らして否定する男子生徒。

嫌われるのも、実は関係性のひとつです。相手から無関心とい

うのがいちばんつらいのです。この子は下品な発言をすること

で、他人の関心を引こうとしているのがわかります。彼なりの

関係づくりといえるでしょう。

「このままなら、ひとりぼっちで孤独死するな」

私が冗談で刺激します。

「えへへ」と笑う彼。

人の嫌がることを言っている子にも原因や理由があるのでしょ

う。一方で、「この学校は、何をしても自由なのがいい」と彼

はいつも言っています。彼にとっていまは、していいこととし

てはいけないことを学んでいる真っ最中なのでしょう。

(21p)

 

「していいこととしてはいけないことを学んでいる真っ最中」

という視点がいいなと思いました。

  

  

困っているこの子のために何ができるか。

そうやって考えていくと、突然、アイデアが閃くこともありま

す。自然科学の多くは、観察によって法則を発見しましたが、

それと同じです。アイデアの源泉はすべて、目の前の子ども。

子どもから発想をもらうのです。

目の前のこの子は、どういう子だろう?

どういうことを考えているのだろう?

何をしたいのか、何がつらいのか、何に悩んでいるのか。そう

やって観察をひたすら続けていると、「こうしたらどうだろう

?」というアイデアが生まれます。校則廃止や服装の自由化も、

こうした観察が基本にあります。

(23p)

  

その子についてじっくり考えて手をうっていく。

基本ですね。特別支援は特に個人でやっていかないと。

  

  

私は集団の中心にいる子をちょっとからかってみます。

「〇〇子は自分自身のこと、かわいいって思ってるの?」

「え?そうじゃない人っているの?自分のこと、好きになって

ナンボじゃない?」

この答えには拍手です。この子は自分のことを肯定することが

できています。自己肯定感が高い生徒です。

考えてみれば、小学校に上がる前の頃は、誰でも自分のことが

いちばんだと思って、みんな過ごしてきたはずです。世界の中

心は自分。誰かに比べて、自分を卑下することなんてありませ

ん。

いったいいつから、自信をなくしてしまうのでしょうか。

この学校の目標は、生徒が「自分」を取り戻すことです。喜び

に満ちた「素」の自分に戻ることです。思いのまま自分を表現

できることが、その子にとっていちばん輝ける瞬間なのです。

それを促してあげることが、私たちの仕事です。

(24p)

 

拍手している理由がいいです。

自己肯定感が高いことへの拍手です。

私もこういう状況で笑顔で拍手できるようにしておきたい。

 

まだまだつづく

最近の写真

  • Img_9488
  • Img_9481
  • Img_9480
  • Img_9479
  • Img_9478
  • Img_9477
  • Img_9476
  • Img_9475
  • Img_9474
  • Img_9473
  • Img_9472
  • Img_9471

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉