「燃える海山」①/浩次郎が志願して「回天」に搭乗
今日は令和元年11月19日。
昨日、「燃える海山 新十津川物語8」
(川村たかし著/偕成社)を読み終えました。
全10巻の「新十津川物語」の8巻目です。
図書館に返却する本なので、手元に残しておきたい文章は
いつものように書き留めておこうと思います。
山口県の大津島に、主人公のフキの孫、中崎浩次郎が赴任します。
そこは新兵器「回天」の秘密基地でした。
浩次郎は志願しての赴任でした。
「よし。わたしは当隊指揮官、坂倉少佐である。貴様たちは
きょうこれから、おれの部下になる。数千人の中からえらび
ぬかれた精鋭ときくが、いままでの教育隊とちがって、
実施部隊、戦闘部隊である。なにごとにも、いのちがけで
立ち向かうように。」
浩次郎はわけもなく、小さくふるえた。すぐそばに死がある
という実感だった。司令のことばがさりげないだけに、
ぎくっとするような重みがあった。いままでことばの上で
わかってはいたものの、死ぬということはまだ自分のそばには
きていなかった。だが、ここにはもう足もとに生と死の
別れ道がある。
(38p)
フキの家族が「回天」にかかわります。人間魚雷の「回天」。
それにかかわった人たちは「死」をどう感じたのでしょうか。
川村さんはここで「すぐそばに死がある」と表現しました。
少佐の話の続きです。☟
「貴様たちには、この兵器にのってもらう。回天という。
いまは機密保持のために『丸六』といっているが、
いうまでもなく人間魚雷だ」
少佐はあたりを見まわした。
「数日まえ、これをつくりだしたひとり、黒木大尉
(だいい/海軍では、とくにダイイとよんだ)が訓練中殉職した。
わらわれは黒木のしかばねをこえてゆかねばならん。
当隊はまだ発足したばかりだが、海軍首脳部の回天によせる
期待は絶大である。回天、すなわち天をめぐらす起死回生の兵器、
戦いの流れをかえるという意味を考えれば、貴様らは日本の
苦境を打開する尖兵(せんぺい)である。」
(39p)
「回天」がなぜ生まれたかが語られています。
もう少し「回天」の説明部分を引用します。
人間魚雷回天が試作されたのは、昭和19年2月に、日本軍の
敗戦がほぼ確実になってからである。潜水学校を卒業した
黒木博司と仁科関夫のふたりの士官の発案である。
巡洋艦から発射される九三(きゅうさん)式魚雷を改造した
もので、頭部に1.55トンの火薬をつめ、人が操縦する。
ただし、帰還することははじめから考えられていなので、
中からハッチをひらくこともできない。いちど発射してしまえば、
生きて還えることは万に一つもないしくみになっていた。
(40p)
中からハッチをひらくことができないのは、ショックでした。
狭い空間に閉じ込めあっれて、自分では出られない状況は、
計り知れない恐怖だった思います。
「回天」と言えば、小説「出口のない海」(横山秀夫著/講談社)が
忘れれられません。実際に自分が「回天」を操縦しているかのように
思わせる小説でした。
残念ながら映画は、そこまで表現できませんでした。
amazon 2006年製作
小説「出口のない海」をこれを機会に再読してみようかな。
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