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2019年11月20日 (水)

1987年モスクワ公演/僕の中で冷戦は終わったんだ

今日は令和元年11月20日。

  

11月6日放映の「BS世界のドキュメンタリー/

ロックが崩した冷戦の壁」を見ました。 

  

番組の冒頭に出てきたこの方。☟ 名前は紹介されなかったので、

誰だかわかりませんでした。

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皆さんはわかりますか?

この番組の内容からして、登場して当然の人でした。

最近、いやいやずっとご無沙汰のミュージシャンでした。

正解は、下を読んでいただければわかります。

  

  

  

  

ほんの一部、番組の聞き書きします。

45分番組の28分ぐらいからです。

  

ナレーター:1985年政権に就いたミハエル・ゴルバチョフは、

  若者の支持を得るには、ロックンロールの統制をゆるめる

  必要があると考えます。

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アレキサンダー・バーシュボゥ元駐ロシア米大使:ロックを

  規制することはもはや不可能で、開かれた体制を目指す

  彼(ゴルバチョフ)の政策には、逆効果だったのです。

(中略)

ゴルバチョフ:ロックは若者のためにあります。ロックは若者たちに

  未来を切り開く機会を与えます。それによって彼らは

  大きな解放感を味わえるのです。思慮深い人は皆、

  こう理解していました。「若者たちは単に浮かれ騒いでいる

  のではない」「ロックに魅了されているのだ」と。

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ナレーター:ゴルバチョフはアメリカ人のロックミュージシャンが、

  ソビエト国内で電子楽器を使用することを許可しました。

  一番乗りでやってきたのは、ビリー・ジョエルです。  

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ビリー・ジョエル:「ソビエトで公演してみないか」と打診があった。

  人々の反応が不安だったが、どこへ行っても「アメリカ万歳」と

  言われて驚いた。これがなぜ(アメリカで)報道されないのか

  疑問だった。

  向こうのテレビ番組に出演してディランの”時代は変わる”を

  歌った。変化しようとするソビエトにピッタリだった。

  ゴルバチョフの功績は、抑圧が長く続いたことに気づき、

  門戸を開いたことだ。冷戦は終結しなくても、緊張は

  緩和されると感じた。

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ナレーター:ビリー・ジョエルのモスクワ公演には、2万人の

  ファンが詰めかけました。立ち上がって一緒に歌うことを

  初めて許可されました。会場にいたKGBは、それまでの

  ように、観客を座らせようとはしませんでした。

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ビリー・ジョエル:警備員も一緒に飛び跳ねていた。観客を

  席に押さえつける仕事を忘れてね。彼らも変革を求めて

  いたんだ。

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  ソビエトの脅威は確かにあったが、アメリカの政治家に

  煽(あお)られて、我々は恐怖をかきたてられおびえていた。

  ソビエトの人々は戦争など望まず、アメリカ人に好意的だった。

  ソビエトを訪問した時に、僕の中で冷戦は終わったんだ。

  それまでの恐怖が、突然消えた。人生であれほど大きな

  分岐点になった出来事はない。

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この記事に最初に載せた写真は、ビリー・ジョエルでした!

この番組を見て、1987年のモスクワ公演は、歴史的な出来事

だったと思いました。

しかし、懐かしい。

ビリー・ジョエルの曲が聴きたくなりました。


YouTube: Piano Man【訳詞付】- Billy Joel


YouTube: Honesty【訳詞付】- Billy Joel


YouTube: My Life【訳詞付】- Billy Joel

  

ラストは景気よくこの曲で・・・


YouTube: Billy Joel - Uptown Girl (Official Video)

  

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