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2019年11月12日 (火)

「函館の大火」⑤/物の十分なかった時代には、人は物に執着した

  

今日は令和元年11月12日。

  

寝る前にもう1本道草します。

  

前投稿に引き続き、

函館の大火 昭和九年の都市災害

(宮崎揚弘著/法政大学出版局)より引用します。

  

漠然と疑問に思っていたことが、この本を読んで理解できました。

  

漁師の娘、6才の近藤ウメは寝ているところを起こされ

火事だと知った。窓から見ると、浜の山沿いのあたりに

赤い花火が上がっているように見えた。

一家の避難先は函館公園と決った。

彼女は母に背負われ、「大丈夫、大丈夫」と励まされながら

公園へ向った。火災により空全体に広がった明るい光りが

近づいてくるようで、恐ろしかったのを憶えている。

家には父や兄たち男手が揃っていたため、家財道具一式を

公園へ搬入した。

  

日本では家財道具の搬出は江戸時代からの伝統的習慣であった

ように思われる。「すわ火事だ」となると、親戚・知人まで

駆付けて搬出を手伝う。物の十分なかった時代には、

人は物に執着した。中には、箪笥、布団類、衣類、柳行李、

書籍類、台所道具一式を持ちだし、障子や襖でそれらを囲うという

念の入ったものもあった。そこへこぶし大の火の粉がどしどし

落ちてくればどうなるか。当然それらは発火する。

函館公園、東川町の護岸、大森浜、大森橋の袂(たもと)には

火がついて放置された家財が多く、延焼を助長したように思われる。

(86p)

  

関東大震災の写真を見た時に、荷物をたくさん持って逃げる人たちに

驚きました。

たとえばこの写真。☟ 上野駅前広場に避難した人々

Kantodaisinsaiuenoekihukin 関東大震災のちょっといい話

  

関東大震災では、これらの荷物に火が襲いました。

橋を渡る人たちの荷物に燃え移って、

火は川を超えました。

本所被服廠跡で火災旋風が起こって、多くの人が犠牲になりました。

※関連:ここでも道草 再会「火災旋風」(2013年9月4日投稿)

なぜそんなに荷物を運ぶんだと、漠然と思っていました。

物の十分なかった時代には、人は物に執着した。

この言葉が特に印象に残りました。

そうなのか?そういうことなのか?

家財道具を持って出れば、それでほぼ全てだとしたら、

やっぱり持って逃げるのかと思いました。

ひとつ疑問が解決した気分です。

  

  

  

災害と背中合わせの現代。

私だったら、最近買ったばかりのお気に入りのショルダーバッグに

財布とタブレット端末を入れて逃げるかな。

いやいや、ザックにそれらを入れて、他にもザックに入るだけ入れて

逃げるかな。  

考えておくべきですね。

  

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