「函館の大火」⑤/物の十分なかった時代には、人は物に執着した
今日は令和元年11月12日。
寝る前にもう1本道草します。
前投稿に引き続き、
「函館の大火 昭和九年の都市災害」
(宮崎揚弘著/法政大学出版局)より引用します。
漠然と疑問に思っていたことが、この本を読んで理解できました。
漁師の娘、6才の近藤ウメは寝ているところを起こされ
火事だと知った。窓から見ると、浜の山沿いのあたりに
赤い花火が上がっているように見えた。
一家の避難先は函館公園と決った。
彼女は母に背負われ、「大丈夫、大丈夫」と励まされながら
公園へ向った。火災により空全体に広がった明るい光りが
近づいてくるようで、恐ろしかったのを憶えている。
家には父や兄たち男手が揃っていたため、家財道具一式を
公園へ搬入した。
日本では家財道具の搬出は江戸時代からの伝統的習慣であった
ように思われる。「すわ火事だ」となると、親戚・知人まで
駆付けて搬出を手伝う。物の十分なかった時代には、
人は物に執着した。中には、箪笥、布団類、衣類、柳行李、
書籍類、台所道具一式を持ちだし、障子や襖でそれらを囲うという
念の入ったものもあった。そこへこぶし大の火の粉がどしどし
落ちてくればどうなるか。当然それらは発火する。
函館公園、東川町の護岸、大森浜、大森橋の袂(たもと)には
火がついて放置された家財が多く、延焼を助長したように思われる。
(86p)
関東大震災の写真を見た時に、荷物をたくさん持って逃げる人たちに
驚きました。
たとえばこの写真。☟ 上野駅前広場に避難した人々
関東大震災では、これらの荷物に火が襲いました。
橋を渡る人たちの荷物に燃え移って、
火は川を超えました。
本所被服廠跡で火災旋風が起こって、多くの人が犠牲になりました。
※関連:ここでも道草 再会「火災旋風」(2013年9月4日投稿)
なぜそんなに荷物を運ぶんだと、漠然と思っていました。
「物の十分なかった時代には、人は物に執着した。」
この言葉が特に印象に残りました。
そうなのか?そういうことなのか?
家財道具を持って出れば、それでほぼ全てだとしたら、
やっぱり持って逃げるのかと思いました。
ひとつ疑問が解決した気分です。
災害と背中合わせの現代。
私だったら、最近買ったばかりのお気に入りのショルダーバッグに
財布とタブレット端末を入れて逃げるかな。
いやいや、ザックにそれらを入れて、他にもザックに入るだけ入れて
逃げるかな。
考えておくべきですね。
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