20190810報告6 奈良とは表情が違う築地塀
今日は令和元年8月13日。
谷中ぎんざ商店街は、細い路地なので、
路地に入ってきたトラックは、搬出後は
向きを変えることなくひたすらバックでした。☟
ご苦労様です。
行列に並んでかき氷を食べるよりも、
私にとって興味があったのは、
「谷中マップ」中にある「築地塀(ついじべい)」です。
築地塀についてはかつて調べたことがあり、
少しずつ地道に固めていく作り方に魅せられました。
※ここでも道草 国分寺・国分尼寺下見8/築地塀は「ついじべい」と読む(2010年5月18日)
※ここでも道草 日帰りで奈良へ・・・築地塀!(2010年8月8日投稿)
ただ ☝ この記事で見たりした奈良の築地屏とは少し違いました。
2010年に平城宮跡で見た築地塀です。☟
今回の谷中の築地塀です。☟
平城宮跡の築地塀は、すべて土で固められています。
谷中の築地塀中には、瓦が埋め込まれているようです。
調べていくと、谷中の築地塀の持ち主と思われる
観音寺のHPに行きつきました。
引用します。
築つい地塀とはいわゆる土塀のことで、単に築地とも言います。
主に、石垣を台座として塀の中心となる部分に木の柱を立て、
柱を中心に木枠を組み、
そこに練り土(粘土質の土に油や藁などを混ぜた土)を入れて
棒で突き固める版築工法で作られたものを呼びます。
塀の上部には雨除けに瓦屋根が葺かれ、表面も漆喰で仕上げられました。
古くは土のみで作られましたが、強度を増すため、
雨水から守るため、染み込む雨水の水はけを良くする為に、
瓦を間に入れて作られるものも登場しました。
その場合も、表面に瓦が見えないように全体的に
漆喰で仕上げるものと、あえて瓦を見えるように瓦と瓦の間を
漆喰で仕上げるものなど、様々です。
築地は、もとは築泥と呼ばれていたとされます。
字のごとく泥を積み上げて作ることからそう呼ばれており、
のちに築地と転じたため、
築地塀ではなく築地塀と発音するのですね。
築地塀の基本的なことから、瓦を入れるようになってきた
築地塀の歴史までを説明してくれた、とてもいい文章です。
観音寺の築地塀は、幕末につくられたそうです。
過去(2010年)の勉強と、簡単に関連付けできるのが、
ブログのいいところです。
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