« 20190813報告5 谷中ぎんざには7匹の猫がいる | メイン | 20190810報告7 全生庵 幽霊画展 »

2019年8月13日 (火)

20190810報告6 奈良とは表情が違う築地塀

 

今日は令和元年8月13日。

  

谷中ぎんざ商店街は、細い路地なので、

路地に入ってきたトラックは、搬出後は

向きを変えることなくひたすらバックでした。☟

Img_0462

ご苦労様です。

  

Photo_2 谷中ぎんざ公式HP 谷中マップ

  

行列に並んでかき氷を食べるよりも、

私にとって興味があったのは、

「谷中マップ」中にある「築地塀(ついじべい)」です。

築地塀についてはかつて調べたことがあり、

少しずつ地道に固めていく作り方に魅せられました。

ここでも道草 国分寺・国分尼寺下見8/築地塀は「ついじべい」と読む(2010年5月18日)

ここでも道草 日帰りで奈良へ・・・築地塀!(2010年8月8日投稿)

ただ ☝ この記事で見たりした奈良の築地屏とは少し違いました。

2010年に平城宮跡で見た築地塀です。☟

6a0133f2a604a3970b0133f2ed1698970b

今回の谷中の築地塀です。☟

Img_0467  

平城宮跡の築地塀は、すべて土で固められています。

谷中の築地塀中には、瓦が埋め込まれているようです。

調べていくと、谷中の築地塀の持ち主と思われる

観音寺のHPに行きつきました。

谷中 観音寺 築地塀

 

引用します。

  

ついべいとはいわゆる土塀のことで、単についとも言います。

主に、石垣を台座として塀の中心となる部分に木の柱を立て、

柱を中心に木枠を組み、

そこに練り土(粘土質の土に油や藁などを混ぜた土)を入れて

棒で突き固める版築はんちく工法で作られたものを呼びます。

塀の上部には雨除けに瓦屋根が葺かれ、表面も漆喰で仕上げられました。

古くは土のみで作られましたが、強度を増すため、

雨水から守るため、染み込む雨水の水はけを良くする為に、

瓦を間に入れて作られるものも登場しました。

その場合も、表面に瓦が見えないように全体的に

漆喰で仕上げるものと、あえて瓦を見えるように瓦と瓦の間を

漆喰で仕上げるものなど、様々です。

ついは、もとはつきひじと呼ばれていたとされます。

字のごとく泥を積み上げて作ることからそう呼ばれており、

のちに築地と転じたため、

つきべいではなくついべいと発音するのですね。

  

  

築地塀の基本的なことから、瓦を入れるようになってきた

築地塀の歴史までを説明してくれた、とてもいい文章です。

観音寺の築地塀は、幕末につくられたそうです。

過去(2010年)の勉強と、簡単に関連付けできるのが、

ブログのいいところです。

コメント

コメントを投稿

最近の写真

  • Img_8263
  • Img_8265
  • Img_8266
  • Img_8262
  • Img_7924
  • Img_8261
  • Img_8034
  • Img_7812
  • Img_7811
  • Img_7809
  • Img_7808
  • Img_7807

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉