「いだてん」/人見絹枝 800m走決勝の走り
今日は令和元年7月20日。
昨日は終業式。
いよいよ夏休みのスタートです。
私はもう少し前から休んじゃいましたが。
今回は7月7日放映の大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~
26 明日なき暴走」での人見絹枝のことを書きます。
1928年アムステルダムオリンピック。
人見絹代は、100m世界記録保持者として参加しますが、
100mでは4位となりメダルを逃します。
これでは日本に帰れないと考えた人見絹代は、
まだ競技で走ったことがない800mへのエントリーを
監督に申し出ます。
監督は反対しますが、人見絹代はこう言います。
「男は負けても帰れるでしょ、けど女は負けたら帰れません。
負けたらやっぱり女はダメだ、男の真似をして走っても
役に立たないと笑われます。日本の女子選手全員の希望が、
夢が、私のせいで絶たれてしまう、お願いします、
やらせてください」
監督は、800mのエントリーを許可します。
人見絹枝は、800m決勝前日の気持ちを
次のように書いていました。
「私の体にどうか明日一回走る力を与えてくださいませ」
1928年8月2日。800m決勝。
(8月2日と言う日は後に重要な日となります)
その様子は、ドラマ撮影と当時の映像を織り交ぜて
表現されました。
☝ クラウチングスタートの人見絹枝。
☝ 最初は短距離のように走りトップを走りますが、
監督らからペースを落とすように指示を受けます。
☝ 指示に従って、ペースを落とし6位をキープして
2周目に入りました。
やはり慣れない800m。苦しくなってきました。
☝ その時、監督らから「腕を振れ」という指示。
腕を振り始めた人見絹枝は、次々に順位を上げます。☟
☟ 2位にまで上がり、トップのラトケを追います。
ラトケに続いてのゴールで、
人見絹枝は女子初のオリンピックのメダル、
銀メダルを獲得しました。
400m2周でのドラマが、新旧の映像で
よくわかりました。
つづく
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