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2018年7月5日

2018年7月 5日 (木)

ポンペイ4/「フニクリ フニクラ」登山電車のCM

 

今日は7月5日。

  

出勤前の道草。今朝はもう1本、ポンペイについて書く!

  

テレビ未来遺産 緊急 池上彰と考える

巨大噴火 日本人へ古代ローマから警告

ポンペイ」(2014年5月14日放映)より。

  

この番組を見て、ベスビオ山にゆかりのある曲を思い出しました。

そのことを書きます。

  

聞き書きです。

  

池上彰さんと雨宮塔子さんが、

ベスビオさんに登りました。

  

池上:コンクリートがありますでしょ。何だと思います?

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雨宮:なんでしょう?

池上:ここは昔、登山電車の終点だったんですよ。

雨宮:登山電車?

池上:下からダ~と上がってきたんです。

雨宮:電車がですか?

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そこで池上さんが紹介した曲が「フニクリ フニクラ

  

池上:(あの曲の)「火の山」がこれ(ベスビオ山)。

ナレーター:1880年に完成したベスビオ山の登山電車。

  そのコマーシャルソングとして作られたのが、

  この「フニクリ フニクラ」だった。

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登山電車ができた頃は、ベスビオ山の火山活動も活発だったらしく、

「怖いもの見たさ」の観光客がたくさん来ていたそうです。

どんな歌詞だったかな。

 

ここから引用します。

※引用元:「フニクリ フニクラ」歌詞

1.赤い火を噴くあの山へ 登ろう 登ろう

  そこは地獄の釜の中 のぞこう のぞこう

  登山電車が出来たので 誰でも登れる

  流れる煙は招くよ みんなを みんなを

   行こう 行こう 火の山へ

   行こう 行こう 山の上

   フニクリ フニクラ フニクリ フニクラ

   だれも乗る フニクリ フニクラ

   (2回繰り返し)

2.暗い夜空にあかあかと 見えるよ 見えるよ

  あれは火の山 ヴェスビアス 火の山 火の山

  登山電車が下りてくる ふもとへ ふもとへ

  燃えるほのおは空に映え 輝く 輝く

   (以下同じ)

  

このサイトに、次のように書いてありました。

 

ヨーロッパ大陸唯一の活火山で、

昔はヴェスヴィウス Vesuvius火山と呼ばれてました。

 

実は授業でこの山の名前を紹介する時に、

最後に「ス」をつけて、「ベスビオス山」としてしまいます。

生徒から「ベスビオ」ですよと言われ、そうかそうかと言いながら

訂正していました。

  

でもこの歌詞の中の山名には「ス」がついています。

これが私の記憶に残っているのでしょうか。


YouTube: フニクリ・フニクラ Funiculì Funiculà (in Japanese)

 

ついでにもう一曲。


YouTube: 鬼のパンツ

以上で今朝の道草は終了。

ポンペイ3/ネロのことを書いた落書き/「パンと見世物」

今日は7月5日。

  

7月3日は公開授業を実施。

どうにかやり切って、その晩はビール2缶で祝杯でした。

授業を見た先生から「楽しい授業でした」

「先生も楽しそうでした」

という声をいただきました。

見せたい、教えたいと思うものを実行に移しているので、

自分も楽しそうに見えたと思います。

実際に楽しんでいました。

教師はやっぱり「教えたい」という

おせっかいな気持ちの強い人がなる職業。

その欲求がある程度満たされた授業だったと思います。

  

  

さて、話はポンペイです。

7月1日の記事の続きです。

昨晩、見ていた番組「地球ドラマチック 皇帝ネロの捜査ファイル

~暴君は真実か?~」(2018年5月19日放映)の中で、

ポンペイの落書きが紹介されました。

 

聞き書きします。

  

ナレーター:西暦79年。ローマから200km離れたポンペイは、

  火山の噴火によって街全体が灰に埋まりました。

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  発掘された街並みから、ネロが市民に愛されていたことを示す

  証拠が見つかっています。

  壁に記された文字。

  人々の思いが表された落書きです。

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レベッカ:80個の落書きが見つかりました。

  当時のポンペイに暮らした庶民が書いたものです。

  街のあちこちに残されていました。

  民家や台所の壁にです。

  ネロの名前が書かれた落書きもありました。

  しかも、どの落書きにも、否定的な内容は

  一切見当たりません。

  ですから、これらの落書きは、皇帝ネロがいかに

  人気者だったかを伝えるものと言えます。

ナレーター:落書きの一つは、奴隷の身分だったコクタという

  男性が書いたもので、自分の名前のとなりに、誇らしげに、

  ネロの名を記しています。

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  剣闘士の養成所を卒業した若者たちが書いた落書きもあります。

  彼らは自分たちをネロ養成所出身者と称し、

  そのしるしを壁に刻みました。

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レベッカ:ネロへの強い支持を表す証拠と言えるでしょう。

  ポンペイでは剣闘士の試合が10年間禁止され、

  人々は不満を募らせていました。

  そんな状況でネロが試合を行ってもよいと許可したんです。

  市民は喜び、ネロの人気が高まりました。

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ナレーター:「パンと見世物」

  それは古代ローマの皇帝たちが、人気を得るためにもちいた戦略です。      

 

 

皇帝ネロが亡くなったのは西暦68年。

ベスビオ火山噴火の約10年前。

まだそれほど間が経っていない。

皇帝ネロと同じ時を過ごした人たちの落書きの可能性が

高いと思いました。

   

落書きのどの部分が「ネロ」なのだろう?

ここかなと思う場所を切り取って載せます。

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どうでしょう?

  

  

 

ポンペイの落書きは興味あり。

そのことについて書いた本はあるようです。

思い立った時が勉強のタイムリーな時。

図書館に1冊予約しました。

この本です。

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この本を読んで、またこのブログに書き留めていきたいです。  

  

パンと見世物」についても調べました。

次のサイトがよかったです。

※参考:世界史の窓 世界史用語解説「パンと見世物」

一部引用します。

  

「パンと見世物(パヌム=エト=キルケンセス)」のパンとは

穀物つまり小麦のことで、穀物の特別価格での販売とか、

無料配布が国や有力者の手で行われていた。

見世物はサーカスともいわれるが現在のサーカスのことではなく、

競技場での戦車競争とか、円形闘技場での剣闘士試合、

ライオンと剣奴の闘いなどのことで、

これらも国や有力者が主催して無料で市民に提供されていた。

剣闘士試合が行われた円形競技場として最も有名なもが

ローマのコロッセウムであった。

 
 前1世紀の「内乱の一世紀」の時代には、

カエサルなどの有力者が盛んに剣闘士競技や戦車競争を開催して

市民の人気を集めた。

また属州から多くの穀物がローマにもたらされるようになると、

ローマ市民の特権として穀物(小麦)が配給されるようになった。

ローマ帝国時代になると、アウグストゥス以降の皇帝たちは、

市民に対する穀物の提供と見世物などの娯楽の提供が

政治の安定につながるので、盛んにそれを実施した。

しかし、それらは帝国の財政を苦しめることにもなるので、

後には緊縮策を採る皇帝もあった。

 

  

以前勉強した覚えのある用語です。

高校生の時に目に触れたと思います。

およそ40年ぶりに出会いましたね。

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