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2018年2月12日 (月)

初めての整体に行く予定/本證寺に行きたいなあ

今日は2月12日。

  

今日の午前10時から、生まれて初めての整体に行ってきます。

腰痛で苦しむ私の姿を見て、周囲の人から整体に行くことを

何度も勧められましたが、今までは一度も行きませんでした。

でも、昨年の腰痛はちょっと今までとは違う痛さでした。

まずは足の付け根上付近が痛み、

その痛みと表裏した腰下付近が痛烈に痛みました。

お医者さんからは「仙腸関節」の痛みと診断されました。

ここでも道草 今回の腰痛は辛い!/「仙骨」「腸骨」の語源(2017年10月25日投稿)

これはどうにかしないといけないと思うようになり、

今回整体に行く決心をしました。さあどうなるか?

  

  

 

整体に行った後に、息子と名古屋に行く用事があり。

その帰りに、安城市にある本證寺に行きたいと思っています。

大河ドラマ「おんな城主 直虎」の「直虎紀行」(昨年10月15日放映)で

紹介されたお寺です。

直虎紀行 愛知県安城市 本證寺

徳川家康の家来である本多正信に関係するお寺です。

1563年に起こった三河一向一揆。

家康の家来であった正信は、一向一揆の一向宗側について戦いました。

なぜ正信は、一向宗側についたのか?

本多家は貧しく、家康ではなく仏の力にすがったとか、

その頃はまだ家康との絆ができていなかったという説があります。

一向宗が立てこもった拠点のひとつが、本證寺です。

寺は内堀と外堀、二重の堀に囲まれ、敷地内に今も残る土塁が、

当時の様子をとどめているそうです。それを見てきたい。

  

  

翌年一向一揆は家康に負けます。

家康の家来で、一向宗側についた者たちは許されて、

再び家康の家来になりました。

しかし、本多正信は家来に戻らず、諸国を放浪したと言われます。

その中で、松永久秀にも仕えたようです。

戦国時代の稀代の戦略家である久秀に仕えたことで、

正信は多くのことを学んだのではという説があります。

久秀が正信のことを次のように褒めているそうです。

「剛に非ず 柔に非ず 非常の器である」

良い褒め言葉です。

  

 

こうして20年近く諸国を放浪した正信は、家康の元に戻ります。

その後は、家康の天下取りの参謀として活躍します。

以上の正信に関する記述は、次の番組を参考にしました。

※参考:「にっぽん!歴史鑑定 徳川家康の知恵袋 本多正信」(2018年2月5日放映)

  

「おんな城主 直虎」がきっかけで、本多正信のことを知ったと思います。

名前を聞いたことはあっても、このような素性を知ったのは初めてです。

気になったお寺、本證寺を見てきたいなあ。

内堀、外堀の位置はどうだったのか?

内堀は、今も残っていて地図でもわかりやすいです。

Photo

Yahoo!地図

  

外堀は?

この地図がいいです。

Tyosaiti 安城市HP 87年ぶり、安城市で3件目の国史跡指定へ

  

本證寺

〒444-1165  愛知県安城市野寺町野寺26
0566-99-0221

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