20170327伊東祐親の銅像
今日は5月6日。
う~ん、もう一つ書きたくなりました。
今回宿泊した場所は静岡県伊東市でした。
その伊東市にゆかりのある歴史上の人物が伊東祐親(すけちか)です。
この人に興味を持ったのは、
「日本三大仇(かたき)討ち」にゆかりの場所だからです。
「日本三大仇討ち」とは次の3つ。
1193年 曾我兄弟の仇討ち
1632年 伊賀越えの仇討ち(鍵屋の辻の決闘)
1703年 赤穂浪士の仇討ち
その「曽我兄弟の仇討ち」に関係します。
「曽我兄弟の仇討ち」については今までに2回書いてきました。
※ここでも道草 「北条政子」より・・・曾我兄弟のかたき討ち(2012年12月28日投稿)
※ここでも道草 これからどうなる「曾我兄弟の物語」(2013年1月23日投稿)
関心がありました。
3つの仇討ちの中で、いずれ消滅してしまうと心配している仇討ちです。
伊東祐親と曽我兄弟の仇討ちとの関連は次のサイトが参考になります。
相変わらず?すっきりしない仇討ちまでのいきさつです。
なぜ曽我兄弟がかつてヒーローになれたのか不明です。
伊東市の市役所よこの公園に伊東祐親の銅像があると聞いて
見に行きました。
市役所の駐車場に車をとめて、
市役所の中を通過して反対側の公園に出ました。
伊東祐親像の下に書かれている説明文が気になりました。
なぜ伊東祐親のこのような立派な像を建てたのか知りたかったのです。
写真を見て書き写してみました。
壽永元年(1182年)武将
伊東祐親が自ら壮絶な死の
道をあゆんでより、すでに
八百年の歳月がきざまれた。
源平両氏交替期の大きなう
ねりのなかで、その行く手
を冷静に見きわめながらも
譜代の臣として、斜陽の平氏へ
の忠節に、ひとすじ、
武将の信と意地をつらぬき
とおした生涯であった。
後の世、この地に生をうけ
た一歌人が、次のようにう
たった。
まぼろしの雄叫びきこゆ
滅ぶると知りつつ武将の
ちから竭しき(つくしき)
ゆたかな歴史の息づくわた
したちの町・伊東には、そ
の昔、領主として地域の繁
栄に重要な役わりをはたし
た伊東氏をめぐる史蹟が
かず多くつたえられている。
なるほど、このような視点で建てたのですね。
↑このサイトによると、この銅像は、
大同工業株式会社から昭和53年1月11日に
寄贈されたものなのだそう。
説明文を書いたのは、伊東市文化財史蹟保存会の依頼で
掘口確さんという方が書いたそうです。
「一歌人」が誰かもわかっているようです。
↑このサイトによると、地元出身の三好直太さんだそうです。
このサイトに説明文の写しあり。
自分で書き写した後に発見。残念。
再び市役所を通過した時に、これが目に留まりました↓
伊東市
いい所みたいです。
伊東祐親のお墓も見に行きました。
↑伊藤祐親のお墓
こういうのを五輪塔というそうです。
↓「浩宮徳仁親王御見学記念碑」
現在の皇太子が見学に来られた記念碑です。
この石碑の状態からして、来られてからだいぶ経つかな?
住宅街の中にお墓はありました。
駐車スペースに少々困りました。
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