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2017年3月30日

2017年3月30日 (木)

今度こそカラスは産卵したぞ

 

今日は3月30日。

  

昨日3月29日、地元でツバメが飛んでいるのを見ました。

ツバメの初見日でした。

2年前も同じ日でした。

  

ツバメも気になりますが、今はカラスも気になります。

  

カラスの産卵の可能性について以前書きました。

ここでも道草 カラスの産卵があるかも/カラスの巣の観察スタート(2017年2月21日投稿)

その後、カラスが巣にいないことが多く、産卵はしなかった?

そうは思いつつも観察は続けていました。

  

そしたら、修了式の前に見てみたら、カラスが巣でじっとしていました。

動きません。今度こそ産卵をして温めているのかなと思いました。

修了式の日に黒板で、漢字カードを取って貼る授業をしました。

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↑その時の黒板です。

この授業の後、観察に行きました。

子どもたちは、巣の中にじっとしているカラスを観察できました。

  

その時に撮影できなかったので、子どもたちが帰った後に、

写真を撮りに行きました。

そしたら、カラスが巣にいない・・・・・

でもすぐ下にいました。

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この後、カラスは巣に戻り、また卵を温めているようでした。

Rimg3521   

28日、29日、そして今日も観察しましたが、

カラスは必ず巣にいました。

カラスの孵化は何日くらいなのでしょう。

調べました。

練馬区HP カラスの生態・習性

ここから引用します。

 

カラスには、巣を作り子育てをするため、

つがいで暮らす時期(繁殖期)と

集団で行動する時期(非繁殖期)があります。

繁殖期は大きく4つに分類できます。

(1)3月~4月 巣材を運び、巣作りをする時期

(2)4月~5月 産卵し、卵を温める時期

(3)5月~6月 卵が孵化し、ヒナを育てる時期

(4)6月~7月 幼鳥の巣立ち時期

非繁殖期は、カラスは集団で森の中にねぐらを形成します。

その規模は、冬期に大きくなるようです。

(中略)

カラスの卵は、ウズラの卵大で、

くすんだ緑色を帯びた褐色地に黒い斑点模様がついています。

卵の数は3個から5個です。

卵が孵化するまでの約20日間は、メスが卵を抱き、

オスはひたすらメスに食べ物を運んできます。

ヒナが孵ってから巣立つまでの約1ヶ月間は、

オス・メス両方が食べ物を運び、ヒナの世話をします。

カラスの警戒心が最も強くなるのもこの時期で、

巣のそばを人間が通ったときに攻撃を受けることが多くなります。

幼鳥は、巣立ってからも1週間から2週間は

親から食べ物をもらって家族単位で生活していますが、

その後は独立して集団に入り、その年の子育て期間は終了します。

産卵は年1回です。

  

勉強になりました。孵化まで20日間。

孵化してから子育てが1か月間。

ゆっくりあせらずに観察ができそうです。

  

上記引用文の中で、「孵ってから」は何と読むのだろうと思いました。

「かえってから」でいいのかなと予想して調べたら、

正解でした。やったね。

  

  

教えていた子どもの中で、

通学路の電柱の上にカラスの巣を見つけた子がいました。

学校の近くなので、時間を見つけてみんなで出かけました。

3月13日のことでした。

私の通勤路でもあるのですが、気がつきませんでした。

本当にあるの?見間違えでは?

半信半疑でしたが、実際に行ってみて、

子どもに言われて見上げたら、あった!

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こういうことに気づくことがいい。

よく見つけたねと2年の男の子を褒めました。

  

今年はカラスネタが多くなりそうですよ、このブログ。

ゆかりの場所巡り その8/龍潭寺 井伊共保公出生の井戸 方広寺

 

今日は3月30日。

  

前投稿に引き続き、

2月19日に大河ドラマ「おんな城主 直虎」の

ゆかりの場所を巡った報告をします。

  

龍潭寺へ行きました。

大河ドラマが始まって、私を含めて関心が高まったこともあって、

龍潭寺を訪れる人は多かったです。

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↑暖かい縁側でした。

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↑有名な庭園です。

墓所に行きました↓

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井伊直親の墓は他の場所にもありました。

浜名湖に流れ込む都田川の堤防の近くにあると聞きました。

調べると・・・

例えばこのサイトが参考になりました↓

まい~か浜松 浜松たんぽう

一部引用します。

 

『井伊直親公の墓』は国道257号線(通称・金指街道)

新祝田橋北岸の堤防道路を西へ300メートルほど行った

堤防の下にありました。

堤防の上からは細い道が整備されていますが

ゆっくり行かないと見過ごしてしまいそうな所です。

土盛の上に小さな石碑があり、その手前に

嘉永4年(1851)子孫の井伊直弼が

墓参に訪れたおり寄進された灯籠が一対ありました。(中略)

永禄5年(1562)、井伊家当主直親は今川氏が弱体化する中、

遠江を狙っていた徳川家康の誘いに乗りかけました。

そのことを家老の小野但馬守(小野和泉守の子)が

今川氏真(義元の子・今川家当主)へ伝えたため、

直親は氏真に疑われます。

疑いは新野左馬助親矩(今川氏の一族・井伊直盛の妻の兄)のとりなしで

一度は治まります。

直親はそのお礼のため従者19人とともに駿府へ向いました。

その途中12月14日に今川氏の譜代重臣で

掛川城主の朝比奈備中守泰朝に殺害されました。27才でした。

直親の遺骸は掛川からこの地に運ばれ

都田河畔で火葬されて墓が建てられました。

法名は大藤寺院剣峯宗惠大居士といいます。

  

全く知らなかった歴史が、

平成29年になってどんどん入ってきます。

でも地元ではとっくの昔からあった歴史なんですよね。

   

井伊家初代の井伊共保公出生の井戸は、

龍潭寺近くにありました。

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この石碑に何が書いてあるかわからず。

磯田道史さんなら、すらすら読めちゃうんですよね。

調べました。ここから↓引用します。

武将ジャパン 

井伊家36代の井伊直弼が

この地に訪れた時に詠んだ句だそうです。

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でも意味はわからず。

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ここで朝からの同行者kurarin maxと別れて、

1人方広寺に向かいました。

これが最後の訪問場所です。

井伊直親の妻の出身は奥山家。

その奥山家ゆかりの寺が方広寺です。

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↑大きなお寺です。ビックリ。

  

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↑楽しい石仏です。

 

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↑最初、方広寺を上から見た時に気になった赤い橋の中。

  

  

これで、ゆかりの場所巡り完了。

帰路につきました。

この帰路で、驚きのことがありました。

方広寺から県道で県境を越える手前でのこと。

このように、道に竹が被さっていました。

Rimg2880

これぐらいなら自動車で下をくぐれると思いました。

そしたら、自動車の衝突安全システムが稼働。

急ブレーキがかかって、自動車が止まってしまいました。

なぜ止まったのかはすぐにわかりませんでした。

しばらくして竹が原因だと思いました。

後ろに車がいなくてよかったと思いました。

運転手も驚く急ブレーキの停車なので、

後ろに車がいたら追突の可能性もあったでしょう。

ゆかりの場所巡り その7/地域遺産センター 紅屋 天白盤座遺跡

  

今日は3月30日。

今年度も押し迫ってきました。

新たなスタートは4月3日なので、

あと4日間。やりたいことはいっぱいある。

  

前投稿に引き続き、

2月19日に大河ドラマ「おんな城主 直虎」の

ゆかりの場所を巡った報告をします。

  

井伊谷城跡を下りてきて、地域遺産センターへ。

Rimg2795

↑この特別展を見てきました。

ここでなぜ直虎が女城主になるまでのいきさつを

より詳しく知りました。

桶狭間の戦いで、直虎の父・22代直盛戦死。

その後、23代目は直親(なおちか)。

直親の死は、謀反の嫌疑をかけられての殺害。

詳しいいきさつを知りたいと思いました。

次は誰が井伊家の中心になたかというと、

ここで20代目の、直虎にとって曾祖父にあたる直平でした。

かなりの高齢だと予想されます。意外です。

もう他に男子はいなかったのでしょう。

まだ幼い直政の後見役となります。

ここもどのようないきさつなのだろうと思いました。

PhotoNHK「おんな城主 直虎」HP 相関図

(亡くなった人は白黒写真になっていました)

 

この特別展で抱いた疑問は、ちょうど3月26日の放映

おんな城主 直虎 12話 おんな城主直虎」で、

解決しました。いきさつを見ることができました。

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Rimg3811 ↑大河ドラマ「おんな城主 直虎」より

  

ただ、直平の死についてはドラマでは詳しくは語られませんでした。

出陣した陣中で「不思議な死をとげる」と

ナレーターは言っていました。

説明があるかなと思ったら、次の話になってしまいました。

  

気になる。直平の死について調べました。

Wikipedia 井伊直平

ここには「直平の死諸説」という項目が起こされ、

服毒死、討死、病死など諸説書かれていました。

脚本家も決めきれず、「不思議な死」としたのでしょうか。

  

特別展の後は、同行者の勧めでこの店↓に行きました。

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紅屋(べにや)です。

名物の「みそまん」を買いました。

  

次は渭伊神社・天白盤座遺跡へ。

Rimg2800

↑渭伊神社

  

そして天白盤座遺跡↓

Rimg2802  

ここに着いた時に、地元の人が、

同志社大学による発掘を見ていてことを教えてくれました。

この説明板にも、平成元年に行われた調査のことが書いてあります。

発掘調査のことは次のサイトに詳しく書いてありました。

渭伊神社(天白磐座遺跡)

一部引用します。

  

遺跡発見のストーリーは、辰巳和弘氏著の

『聖なる水の祀りと古代王権・天白磐座遺跡』(新泉社)に

詳細に記されている。

きっかけは『磐座紀行』藤本浩一著(1982、向陽書房)に掲載された、

渭伊神社の巨岩に関する短文と1枚の写真にあったという。

「引佐町(いなさちょう)歴史と文化を守る会(歴文会)」の

メンバーがこの本を目にしたことで、

薬師山の巨石群が磐座遺跡であると認識される。

昭和59年(1984)、磐座周辺は下草や丈の低い雑木におおわれ、

かなり荒れた状態にあったが、

歴文会が中心になって手入れが行われ、

祠(ほこら)が置かれ「磐座まつり」が開催される。

この手入れで、磐座周辺は現在の景観に回復され、

これが遺物発見の大きな布石となった。

昭和63年1月、引佐町の遺跡分布調査を行っていた

同志社大学の辰巳先生と学生5人が、巨石群に立ち寄った折、

学生の一人が地表に顔を出した土器の破片を発見した。

全員が自分の足元に目をやると、破片はつぎつぎに見つかり、

たちまち20点近い破片を採集する。

本格的な発掘調査は、翌年(1989)8月に

2週間余にわたって行われた。

この調査で4世紀(古墳時代)から13世紀(鎌倉時代)に至る長期間、

連綿と続いた祭祀場であったことが明らかとなった。

 

目の当たりにしてきたあの巨石群も、

1984年以前は草むらの中にあったのですね。

私が撮った写真です。

  

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↑岩と岩を繋ぐ綱に、紙垂(しで)がついていました。

木々がバックで見えにくいと思いますが、よく見てください。

  

大河ドラマ「おんな城主 直虎」の第1話で、

子どもたちが遊ぶ場面で、この天白盤座遺跡が出ていました。

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