ハッブルのこと その5/ウィリアム・ハーシェル
今日は1月26日。
前投稿に引き続いて
昨年11月24日放映「コズミックフロント NEXT 宇宙の革命児!
エドウィン・ハッブル」より。
番組の聞き書きをしていきます。
ナレーター:↑これは天文学者ハーシェルが18世紀に描いた宇宙の姿です。
地球を取り巻く天の川銀河↓
渦巻きがその中にあるのか、外にあるのかは、
すなわち宇宙の広さや形を決める大問題だったのです。
番組では、天文学者ハーシェルについては、これだけの情報でした。
しかし、
「膨張宇宙の発見~ハッブルの影に消えた天文学者たち~」
(マーシャ・バトゥーシャク著/地人書館)
では、ハーシェルの人物像が興味深く書かれていました。
引用します。
1781年、天才的な彗星探索者シャルル・メシエが、
今日も使われている100個以上の星雲をリストしたカタログを
フランスで出版すると、少しずつ発見されていくこれらの天体の
重要性はさらに増した。(中略)
その直後、イギリスで「天文学界のプリンス」になる
ウィリアム・ハーシェルほど、メシエのリストに夢中になった者は
なかった。
ハーシェルは、メシエ・カタログが届けられるやいなや、
望遠鏡を天空の星空に向けた。
「適切な状態で調べることができるほとんどの星雲が、
私の(望遠鏡の)集光力と分解能に屈し、
星々に分解されるのを見て、とても嬉しかった」
と彼は数年後に書いている。
当時の口径30センチ、長さ6メートルの望遠鏡を使って、
ハーシェルは最初にこれらの発見をした。
ハーシェルの望遠鏡はその当時最も強力なものだった。
これを使って彼は、(今日私たちが散開星団、球状星団と呼ぶ)
星雲の多くが、実際は数百、数千の恒星からなっているのを
見ることができた。
このことからハーシェルは、「すべての」星雲は遠く離れた
恒星系だと信じるようになった。
接眼鏡を覗いてなお雲のように見える星雲もあったが、
それらは距離があまりに遠いため個々の星が
はっきり見えないだけだとハーシェルは考えたのである。
(83~84p)
私たちがいる銀河系の外には、
恒星をたくさん含む他の銀河系がたくさんあると考えました。
ハッブルが最終的に証明する1世紀前に。
さらにハーシェルは、そこには地球外生命体が住み、
私たちを見つめ返していると想像までしました。
想像力豊かな人です。
その当時地球外生命体の存在を想像できた人は、
きっとものすごく少ないと思います。
ハーシェルが天文学に没頭するのは、34歳の時でした。
それまでは音楽家として安定した生活をしていたようです。
引用します。
ひらめきは1773年5月10日に訪れた。
その日34歳のハーシェルは、一般向けの天文学書を購入した。
「望遠鏡を使ってなされた数多くの
魅力的な発見について読んだ時、
私はそのテーマに非常に大きな喜びを感じ、
それらの機器の一つを使い、自分自身の目で
天空や惑星を見たいと思いました」と彼は述べた。
そして秋には、反射望遠鏡の金属鏡の製作を始めていた。
新しい趣味の虜になったハーシェルは、
間もなくその興味を地上の音楽から
天上の音楽へと移してしまった。
彼があまりに天文学に興味を傾けたので、
すでにイギリスで一緒に暮らすようになっていた
妹のカロラインは、ハーシェルが(金属鏡の)研磨や
磨きの仕事を中断しなくていいように、
食べ物を一口ずつ手で運んで食べさせた。
自作の機器を空に向けたハーシェルは
天空を記録するようになり、1781年、
有史以来初めて新しい惑星としての天王星を発見して、
一つの頂点に達した。 (85p)
天王星を発見したのも、ハーシェルでした。
ハーシェルは、最終的に考え方を変えてしまいます。
その過程は、記述されていました(88p)が、
少々難解でわかりませんでした。
ただハッブルが証明した
私たちの住む銀河系の外にも、たくさんの銀河系がある考えは、
決して荒唐無稽なものではなく、
すでに18世紀にはあった考え方だと知りました。
(まだまだつづく)
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