「”発想”に命をかける男」から学んだこと その2
今日は11月5日。
前投稿に引き続き、
7月11日放映の「プロフェッショナル 仕事の流儀
革新は、チームで起こす デジタルクリエイター・猪子寿之」より。
↑この画像は何度でも使いたい画像です。
自分もここまで言い切るぐらいになりたいという願望があります。
でもなり切れない。
どうしたらなれるか?
ヒントがあった番組でした。
ナレーター:専門も経歴も違う者同士で、最新情報を徹底的に
ぶつけ合う場。この場こそ、0から何かを生み出すために、
猪子が最も大事にしている場所だ。
このナレーターの言葉があった後に次の画像(ピンボケ!)
ナレーターの言葉が続きます。
ナレータ-:猪子はもともとエンジニア。
プログラムを書いていたこともあるが、得意ではなかった。
ならば、その部分は人にまかせ、
自分は得意の発想に力を注ぐと、ある時から決めた。
教師の仕事で、
「発想」を売りにするというのは、やっぱり怖い。
実態がないようなものだから。
地道にこなしていく仕事と違い、
評価されない仕事のように思われがちです。
またすぐに効果が出る指導ではなく、
試行錯誤して少しずつ変わっていくもののように思えます。
また、伝統的な指導法というのがあり、
新しい発想は、すぐには受け入れられない傾向があります。
猪子さんが決断したように、
不得意なものを上手にやることはできないと見切りをつけて、
その代わりに「発想」で頑張ると、
いつごろからか思うようになってきました。
まだまだ中途半端なのですが。
「チーム力」は実感します。
「時計型七並べ」を作った時も、自分の作った試作品を
他の先生に実際にプレーしてもらい、
いろいろアイデアをもらいました。
自分一人では気がつかなかったことを言ってもらいました。
話を番組に戻します。
チームについては、猪子さんはこうも言っています。
ここはHPから引用します。
四国・徳島に生まれた猪子。
小さいときから、ちょっと変わったことを考えていた。
「この世界は、どうなっているんだろう?」
学校で授業を聞いていても、「ほんとは違うかも?」と、
自由に想像を膨らませる猪子に、先生は厳しかった。
模範的ではない解答は否定され、
考える先にあったかもしれない
“真理”を求めることは許されなかった。
「(みんなは)なんで考えないんだろうって思ってた。
まあいいやと思って黙ってたよね」。
ずっと学校に窮屈さを感じていた猪子は、大学に入る頃、
TVで衝撃を受ける。
NHK「新電子立国」で放映されたアメリカの若者たち。
インターネットという新しい世界を作ることで、
世界を自分たちの価値観の方へと寄せようとしていた。
しかし東京大学に入学しても、そんな場所はどこにもない。
そうして卒業する頃、猪子は気づいた。
自分が求める場所は、自分で作るしかないということに。
今の会社を立ち上げたのは、卒業間際の23歳のときだ。
「23ぐらいになってくるとさ、天才じゃないことに気づくじゃん。
世の中には天才や、超賢いヤツがいっぱいいるんだなと思って。
それでも、いいものは作りたいから、
自分1人では無理かもしれないけど、
何か自分の知らないことを知っている人たちと
一緒にチャレンジしていければ、
個人では到底作れないようなものが作れるんじゃないかなと思った」。
一人でやらないというのも、「発想」なのだと思います。
こんな会話が番組中にありました。
インタビュアー:白いTシャツ、何枚持ってるんですか?
猪子さん:同じTシャツばっかり、30枚ぐらい持ってる。全く同じやつを。
インタビュアー:それは、選ぶのが面倒くさい?
猪子さん:そうそう。
インタビュアー:それで浮いた時間は何に使うんですか?
猪子さん:(笑)なんなのその質問。
浮いた時間って、だって、そもそもずっと仕事しているから、
あんまりできないじゃない、いろいろなこと。
いろんなことを捨ててるんですよ。
ナレーター:いろんなことを切り捨てるのは、
脳をアイデアが出やすい状態に保つためだ。
この受け答えも参考になります。
同じ服装をするのは脳を疲れさせないためということで、
次の投稿で2人の成功者をあげました。
※ここでも道草 「健康カプセル」やっぱり疲れる脳の話(2016年7月24日投稿)
この2人とも相通じます。
「発想」のためにはいろんなことを捨てなくてはいけないんですよね。
そこが自分にはできていないところだ。
次の投稿につづく。
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