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2016年8月 6日 (土)

日本初のポン菓子機を発明した吉村さん

  

今日は8月5日。

  

前投稿に引き続き、ポン菓子のことを書きます。

  

「イラストで見る昭和の消えた仕事図鑑」(原書房)

  

この本からの引用です。

ドイツ製の機械は重かったようです。

  

ただ重さは百キほどあって、持ち運びに不便である。

そのため女性でも持ち運びができる軽い機械にしようと、

タチバナ菓子機の吉村利子が昭和21年に鉄製に改良し、

国産ポン菓子機「吉村ポン菓子機」が全国に出回った。

戦後間もなくは、復員した元兵士や職を失った人が

行商で機械を持って販売した。

後にリヤカーや軽トラックで移動するようになった。 (114p) 

  

吉村さんについて調べたら、何とご存命でした。

フードコーディネーター取材特派員NEWS 日本初のポン菓子機を作った女性 吉村利子さんに聞く!

ここを読むと、吉村さんは大阪の八尾市出身。

戦時中は国民学校の教員でした。

食糧難でお腹を減らした子供たちを見て、

次のように思ったそうです。

  

あれ(穀類膨張機)を使えば

少ない原料でもお腹も満たせてやれる・・・。

しかし、第一次世界大戦後にアメリカ、

ドイツから入ってきた「穀類膨張機」は鋳物製で約100㎏もの重さ。

その為、普及していなかったのです。

そこで橘さん(吉村さんの旧姓)は、

「自分の手であの機械を作り、お腹いっぱい食べさせてやるんだ!」

と決意したのです。


それ以降、あらゆる努力をされ、

工学系教員の知人に手伝って貰いながら色んな実験をし、

小型で軽量な「ポン菓子機」(穀類膨張機)の図面を起こしました。
 

橘さんが考案された『総鉄製』の小型で軽量のポン菓子機・・・

これを作るには、戦時中の当時、

「鉄の街」と言われていた「福岡県八幡市(現 北九州市)」に

行くしか手段はなく、周囲の反対を押し切り、

図面と多額のお金をお腹に巻いて職人探しに行かれたそうです。

  

すごいですね、この行動力。

そして、吉村さんは北九州に住み、機械を完成させ、

そこでポン菓子づくりをしたようです。

完成は1945年の3月11日。終戦前のことなんだ。

  

前投稿の疑問が一つ解決しました。

こう書いてありました。

  

「お客さんが持参した材料(米や豆や雑穀など)を、

加工賃と引き換えに調理する」日本ならではのスタイル

  

材料は子ども(お客さん)持ちで、加工賃をもらっていたのですね。

  

吉村さんのことを紹介する動画もありました。

参考:JOY-Q ポン菓子の生みの親 吉村利子さん/開け!キタキュウ人図鑑(平成27年1月19日放送)


YouTube: ポン菓子の生みの親 吉村利子さん/開け‼キタキュウ人図鑑(平成27年1月19日放送)

1925年生まれだそうで、91歳になる年です。

長生きにもビックリですが、若い時に発明したことにもビックリ。

  

本からの引用。

  

昭和35年頃がもっとも売れた時代だったが、

大手菓子メーカーの既製品も出回り、

住宅も増えて大きな音が出せなくなったことから、

徐々にポン菓子の販売は減った。 (114p)

  

あの大きな音がすると、子どもたちは「ポン菓子ができた」合図で、

みんな機械の所に集まってきたそうです。

  

ポン菓子のいい勉強ができました。

  

  

コメント

かなり前、ラジオ深夜便「明日へのことば」で吉村さんの話を聞きました。
動機を知り少し自分が恥ずかしくなりました。

「少しの原料でもお腹を満たしてやれる」という発想は、
食糧難の時代ならではだと思いました。
ふくらませることに意味があったのですね。
「イラストで見る昭和の消えた仕事図鑑」の著者は
澤宮優さん。ハマコウさんもこの人の本を読んでいましたよね。
http://ya42853.blog.so-net.ne.jp/2013-12-08-1
http://ya42853.blog.so-net.ne.jp/2013-12-11

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