「消えた仕事図鑑」より「三助」
今日は8月14日。
「イラストで見る昭和の消えた仕事図鑑」
(澤宮優著/平野恵理子絵/原書房)
は面白い本でした。
残念ながら期限が来て図書館に返してしまいました。
ポン菓子屋については以前書きましたが、
他の職業について、引用して書きとどめておきたいです。
今回は「三助(さんすけ)」
銭湯の下男。
昼は薪など風呂を沸かす材木を集め、
湯加減の調整、掃除をし、夕方は下足番、客の背中流しも行う。
とくに釜焚き、湯加減の調整、番台業務の銭湯の三つの
主な仕事を助けたから「三助」と呼ばれた。 (168p)
主に富山県や新潟県出身者が多く、(中略)
一人前になるまでには十年かかり、
後に番頭になって番台に座ることもあった。
年季を積み、銭湯の経営者になるというシステムだった。 (168p)
なぜ富山県、新潟県出身者が多い?と疑問に思えますが、
流れができていったのでしょう。
平成21年当時は、東京都東日暮里にある
「斉藤湯」には都内唯一の三助がいた。
橘秀雪と言い、当時は72歳。
富山県氷見市の出身で、背中も流した。 (168p)
都内最後の三助である橘さんも引退されました。
(Wikipediaによると、全国で最後の1人だったようです→Wikipedia 三助)
その橘さんの写真をアップしていたサイトがここ↓
伊勢崎市議会議員 多田稔(ただ みのる)の明日へのブログ 行って来ました 三助さんがいる斉藤湯
これは2013年10月の記事。
この頃はまだ橘さんは三助の仕事をしていました。
背中流しは次の要領↓
背中流しは、番台で銭湯代の他に流し代(400円)を支払うと、
木札が渡される。
橘が、紺色の水着で現れ、固いタオルに石鹸をつけて、
上腕、両肩、背中を洗う。
洗い終わると、首、頭、腰、手をマッサージした。 (168p)
この木札の写真も多田稔さんのサイトで紹介してくれてありました。
こんなのでした。多田さんはこんな風に調べていました。
引用します。
以前インターネットで調べたところ、通の客は
「流し」の木札をぬらして鏡に張って待っている、
と書いてあったので、湯船であったまってから
木札をぺたっとはって三助さんの登場を待ちました。
楽しそうです。
他にも「斉藤湯 橘秀雪 三助」で検索するといろいろヒットします。
橘さん、有名人だったのですね。
このサイトも勉強になりました。
※PAPER SKY 最後の三助|TOKYO BATHING | 東京 銭湯 1
2012年7月の記事です。
三助の仕事している橘さんの姿も見ることができます。
引用します。
橘は富山県氷見市の農家の四男として生まれた。
農家の跡を継ぐのは長男と決まっていたので、
彼は自分で働き口を見つけなければならず、
15歳で中学を卒業すると、ひとつの決意を胸に東京にやってきた。
その決意とは、銭湯で働くこと。
当時、大盛況だった銭湯業界に働き口はいくらでもあり、
橘もいくつもの浴場に番頭として勤め、
銭湯の掃除やボイラーを使ったお湯の管理など、
さまざまな仕事をこなした。 (中略)
昔は三助を呼ぶベルがあり、お客さんが男なら1回、
女なら2回鳴らすことになっていたという。
ベルで呼ばれるまではボイラーの前で、
ちょうどいいお湯加減になるように、
古い家具などを次々に燃やしていたそうである。
ちょっとビックリは女性の背中流しもしていたのですね。
今は大盛況でも、時代が流れたら消えていく仕事があるんですね。
教師の仕事もどうなるんだろう?
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