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2016年7月31日 (日)

正岡子規の選択/子規が選んだ生き方

  

今日は7月31日。

  

前投稿に引き続いて、

7月21日放映の「英雄たちの選択 生きた証か 見果てぬ夢か

~近代文学の祖 正岡子規の選択~」より。

昨晩うつ予定が、ダウンしました。

 

明治29(1896)年、

28歳で「余命わずか」という宣告された正岡子規。

子規の選択は2つ。

【その1】

生きた証を残す(写生句の普及)

【その2】

見果てぬ夢へ踏み出す(日本語の革新)

  

どちらを選ぶか?

  

実際に子規が選んだのは【その2】でした。

  

聞き書きしてみます。地の文はすべてナレーターです。

  

脊椎カリエスの診断後、子規は手紙に、強い意志でこう記している。

  

「大望を抱いたまま、地下に葬られる者は多い。

しかし、余(わ)れ程の大望を抱いて、地下に逝く者はいない」

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「大望」

子規が生涯最後に抱いた夢とは、何だったのか?

子規の研究を半世紀近く続ける専門家は語る。

  

「彼の言葉にかかわる仕事の一番最後にあるのは、

『文章の革新』という仕事なんですよね」

「常に彼が持っていたのは、『言葉への興味・関心』

だったと思うんですね。」

「それがだんだん広がって豊かになっていくというのが、

彼の一生だったのかなあと思いますよ」

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いよいよ子規は「文章の革新」へと乗り出していく。

主な舞台となったのが、仲間と共に作った

文芸雑誌「ほととぎす」だった。

31歳の子規は、ここで写生の技法を駆使した文章を発表する。

いわゆる「写生文運動」を起こすのだ。

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これは子規が「ほととぎす」に投稿した写生文の第一号。

貴重な自筆原稿である。

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タイトルは「飯待つ間」

昼ごはんができるまでのありふれた時間を題材にした作品だ。

  

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ご飯を待つありふれた日常。

ここに自分なりの楽しみを見出せば、立派な文章になる。

子規は寝たきりで証明して見せたのだ。

  

このやり方を使えば、誰もが自由に文章で表現できる。

「ほととぎす」の編集部には毎月600通以上の文章が

寄せられるようになった。

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ありふれた日常でも、自分の感じるままに言葉を紡げば、

豊かな世界が広がる。

子規は言葉の可能性を解き放ったのだ。

しかし、子規は日に日に衰弱していった。

  

  

正岡子規が亡くなったのは、明治35年(1902年)でした。

享年34歳。

  

ありふれた日常を文章で書き表すこと。

私はこのブログで書いています。

ちまたでは、SNSを使って多くの人が文章を書いています。

写真も使ってありふれた日常を書いています。

そのルーツのひとつが正岡子規の「写生文運動」なのですね。

このような歴史を知ると、子どもたちの作文指導、

もっとピンポイントで言えば、

新任からやっている「児童詩」の指導はとても意義のあるもので、

もっと作品を書かせたいと思うようになりました。

  

【その2】を選択して、子規は頑張りました。

  

2学期は、以前のように学級通信に文章を書き写していきたい。

そう思いました。

いい番組を見ました。

  

 

  

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