「PL学園最強世代」からの引用その4.気管切開
今日は2月6日。
前投稿に引き続き、
「PL学園最強世代 あるキャッチャーの人生を追って」
(伊藤敬司・矢崎良一著/講談社)からの引用です。
青山には、都市対抗の本大会で、
観戦に訪れた敬司にウイニングボールを手渡すという目標がある。
監督就任後、連続出場は果たしているが、
まだ監督初勝利を収めていない。
「なにがなんでも、と思っています。
それでほんのちょっと、1割くらい、恩返しができるかな、と。
でも、伊藤さんは
『俺に恩返しするくらいなら、後輩をかわいがれ』と言われると思います。
『恩は下に返していくもんや』って怒られます。
そういう人なんです」 (216~217p)
「恩は下に返していくもんや」
格好いいですね。
格好いいと思うことには真理があるんだよなあ。
今、病気の敬司が生きていくうえで、
彼を取り巻くたくさんの人たちがいる。
妻の桂子、娘、大阪の敬司の両親、弟夫婦、桂子の両親、
そして介護に就くヘルパー、ケアマネージャー、医療のスタッフ・・・・。
そうした人たちが、それぞれの立場で頑張っていることで、
敬司の今の生活は成り立っている。
実際のところ、もはや「頑張っている」のレベルを超えて、
「度を越して、いっぱいいっぱいになっている」(桂子)という状況がある。
(中略)
敬司自身、そうした状況はわかっている。
わかってはいるが、わからないようにしている必要がある。
自分のために誰かが大変な思いをしているということを、
わかりすぎてしまうと、
今度は自分が生きにくくなってしまう。
それゆえ、わからないようにしている。
しかし、そのことをずるいと責めるのは酷だ。
敬司は敬司で必死に生きている。 (232~234p)
その立場にならないと分からない気持ちだと思いました。
現在、敬司は気管切開を拒否している。(中略)
気管切開を行うことで、誤嚥の苦しみはやわらげられる。
そして、延命に繋がる。
ただし気管切開すると、在宅での介護は現実的に難しくなる。
おのずと専門の施設に入り、入院介護の形に切り替わることになる。
そのことは桂子もはっきりと伝えている。
それに対して、敬司は「絶対に(病院には)入りたくない」
という意思表示をしている。
気管切開の拒否については、桂子も同じ考えを持っている。
公的機関は気管切開を推奨しているのか、
日本ALS協会(ALS患者の療養生活の向上と治療方法の確立を目的とし、
1986年に設立された非営利団体)などの機関誌には、
管切開した患者の取材記事や写真がよく掲載されている。
しかし現実には、その選択肢を選ばない人も数多くいるという。
世界的に見ると気管切開を積極的に行うのは日本くらいで、
外国ではその割合が圧倒的に少ない。
気管切開を行えば、おのずと二十四時間介護体制が必要になる。
経済的な問題などを考えると、それが許されるのは、
現実的には一部の患者に限られてくる。桂子は、
「現状、それを選ばせてあげられなかった家族が、
すごく非人道的みたいなムードを感じます」と問題点を指摘する。
(239~240p)
気管切開に関する問題点は、同じALS患者のヒロさんも言っています。
※ここでも道草 “ヒロ”難病ALSとの闘い6/ブログの代読(2014年8月10日投稿)
命をかけた、周りにいる人たちの人生も巻き込む選択だけに、
その立場になったらきついだろうなあ。
すべては、ALSという病気が招いた悪循環だった。
ALSという病気は、運動神経を壊すだけでなく、
様々な有形無形のものを壊していく。
家族の絆、人生の目標、自分のプライド・・・・。
そして病気は敬司の身体だけでなく、
周りの人々の心や人間関係までも蝕んでいく。
それでも、周囲の人間が無意識に支え合うことで、
最悪の事態だけは回避できるのかもしれない。
救いようもなく介護に疲れ果て、最悪の選択をしてしまう家族も現実にいる。
しかし、そうすることもやむをえないほど、
周りの人間も追い込まれています。 (243p)
介護のたいへんさをこの本でよくわかりました。
2本前の投稿で紹介した次のサイト。
ここで患者Mさん、Nさんの生活が紹介されています。
農家の人たちです。
マスコミに登場している人たちだけでなく、
そうでない人たちもALSになり、闘病していることをあらためて知りました。
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