渥美線電車機銃掃射 聞き取り調査を始めたきっかけ
今日は6月28日。
昨日はサークルがありました。
ゲストが登場。豊川流域研究会の代表である山田政俊さんです。
サークルの先輩である山田さんにお願いして、サークルに来ていただいて、
昭和20年8月14日の渥美線電車機銃掃射についてのお話を聞きました。
きっかけになったのは、この投稿↓で載せた記事です。
※ここでも道草 機銃掃射 1945年8月14日田原(2015年5月13日投稿)
昭和20年8月14日に田原駅を出発した電車が、
アメリカ軍の艦載機の機銃掃射を受けて、
15人が亡くなり、16人が負傷した出来事。
豊川流域研究会のメンバーが、この出来事を知ったのは、
田原駅創業90周年にちなんで研究会が作った冊子のための
聞き取り調査の時だったそうです。
聞き取りをした一人の女性の話が、機銃掃射の話でした。
渥美線の電車が田原駅を出発して2分。
神戸(かんべ)駅を過ぎ、豊島(としま)の天白(てんぱく)の
森の近くで米軍機に見つけられました。
高度を下げ、低空でダ、ダ、ダ、ダーと撃つ銃の音。
ドッドッドッ、また上空に向かい、そして低空へと。
立ち往生している無防備な電車に、
繰り返し機銃を浴びせてきました。」
(『聞き取りから知る三河田原駅90年史』67p)
この女性は、出来事の現場近くで、
防空壕に避難していて、目撃したそうです。
旧田原町史には、この出来事の記述はあったそうですが、
詳細なことは書かれていませんでした。
関係者からの聞き取りは行われていない出来事でした。
研究会のメンバーは、出来事の関係者が高齢になっており、
今聞き取り調査をしなければ、この出来事は埋もれてしまうと考え、
行動に移しました。
こうして出来事の関係者を発掘して、聞き取り調査に出向き、
その聞き取りを文字化して、最後には冊子に仕上げていったのです。
間に合った!という気持ちです。
きかっけは田原駅90年史の製作でした。
そこから一人の女性の話を得ることができ、
そのことをきかっけに、終戦前日に起こった痛ましい出来事の詳細が
たくさんの人の証言から蘇ってきました。
↑ 「証言 渥美線電車機銃掃射 ー1945年8月14日の記憶ー」
A4版サイズ 110ページ
これが聞き取り調査の結果をまとめた本です。
サークルに1冊寄贈していただきました。
偶然得た一人の女性の話があったからできた本だと思います。
高齢ではあってもお話が聞けるうちに、
たくさんの方から証言が得られたことは幸運なことだと思います。
間に合って良かったです。
聞き取り調査や文字化がいかに大変だったか、
サークルで山田さんは話してくれました。
いかにしてこちらの聞きたいことを聞くか、
いかに正確に思い出してもらうか、
文字化するときにどの範囲まで行うかなど、
70年前の出来事の再現は簡単ではなかったようです。
昨年度は31人の方から聞き取り調査をして、
今年度も聞き取り調査を継続して行っているそうです。
山田さんは現在70歳。他の研究会のメンバーも同じような年齢だそうです。
聞く側のメンバーの年齢も高くなっており、
一連の作業もスムーズではないそうです。
でも引退後にも、このような素晴らしいテーマを見つけては
積極的に動かれる姿は羨ましく思えました。
自分も将来はこのような生き方をしてみたいと思いました。
もちろんその時の舞台は、この「ここでも道草」になると思います。
(次の投稿につづく)
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