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2014年8月 3日 (日)

「英雄たちの選択 清州会議」心にのこった発言2

  

今日は8月3日。

  

前投稿のつづき。

7月24日放映の「英雄たちの選択 清州会議 秀吉 天下への挑戦」より。

  

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突如、人参をぶら下げることが有効なんです。

ないんだろうなと思ったら、急に来た。

また次来るかもしれないと思いますよね。

だから、「アメ、無視、無視、無視、アメ、無視」ぐらいですね。

アメとムチではなくて、アメと無視です。

  

  

「突如、人参をぶら下げる」というフレーズが心に残ってしまいました。

即座に質問に答えて、こんなインパクトのあるフレーズを語れるなんて、すごい。

   

  

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清州会議のあらましを書きます。

清州会議は諸説あるようですが、4人が参加した説が有力です。

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残された書状から、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興、

そして柴田勝家です。

  

目的は、織田信長亡き後の後継者決めでした。

候補は、信長の長男は殺されているので、

次男の信雄(のぶかつ)、三男の信孝(のぶたか)でした。

柴田勝家は信孝と近く、後継者として押していました。

清州会議でも勝家は、信孝を後継者候補にあげました。

秀吉はその意見を聞いて、一度は受け入れましたが、

長男の信忠の子ども、三法師(3歳)を候補者に推薦しました。

その後、丹羽長秀が発言しました。

「秀吉の申すことは、筋目の通った正論である」

場の雰囲気が秀吉有利になりました。

ここで秀吉が「持病の中風(ちゅうふう)が出た」と言って、

中座してしまいます。

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秀吉がいなくなった後、3人になった会議。

ここで丹羽長秀が言います。

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「上様が本能寺で亡くなった時に、秀吉は中国から3日で休息せずに

 ただちに京都に入り、見事亡き信長様の仇を討った。

 勝家殿もすぐに北陸から戻っていれば、光秀の2・3人は踏み潰すこともできたであろうに。

 油断なされたな。」

返事に窮した勝家。

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やむなく秀吉の押す三法師への家督継承に(勝家は)同意しました。

こうして清州会議は幕を閉じ、秀吉は勝利しました。

  

   

後継者の候補がまず2人。次男信雄、そして三男信孝。

秀吉は新たなる候補者の三法師を推薦しました。

  

植木さんはこう言います。

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最後に出した案は切り札になる。

「マジック3(スリー)」と心理学で言うんですけど、

順番にAですか、Bですか、Cですかと聞かれたら、

ほとんどの人がCを選ぶという、理屈はわからないのですが、

そういう現象がある。

  

磯田さんが言う。

 

A案と B案が対立していて、最後にC案を出したら、

魅力的な案になる?

  

植木さんが言う。

 

すごくクオリティが高い、

あ、それがあったかという心理が生まれるんですね。

  

  

確かに、体験的にも「マジック3」はあるよな。

  

「中座」にも植木さんは発言します。これも良かった。次の投稿で。

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