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2013年11月23日

2013年11月23日 (土)

東栄町に行ってきました/御園へ

  

今日は11月23日。

  

前投稿のつづき。

尾々へは、南から北上してたどり着いて、軒山を登りました。

下山後、尾々からさらに北上しました。

新任の地である御園へ行ってみたいと思いました。

細い道をくねくね登って、坪沢峠へ。

  

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ここからはかつて通勤に使った道路です。

  

御園の集落はすぐです。

遠くから眺めて帰ってきました。

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いいところでしょ。ここが私の新任の場所。

初心に戻れる場所です。

自宅から1時間45分かかりますが、たまにはこうやってやってきたい場所です。

2008年に御園について書いていました。

※参考:ここでも道草 1985年を思い出す場所へ(2008年11月3日投稿)

もうあの時から5年がたつんだなあ。

  

  

新任で住んだ教員住宅だったところにも行きました。

私が住んだ時にはまだまだ新しい家でした。

おそらくできてから数年でした。

もう30年たったわけですが、まだまだ十分新しい見かけです。

その後住んだ人たちの使い方がいいのでしょう。

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ピンクの矢印のところに車をとめていました。

ヘトヘトになって帰ってきた時に、

ここに車をとめたのですが、下車する気力がなく、

そのまま運転席で寝てしまい、朝を迎えたこともありました。  

そんなことを思い出しました。

  

過去に浸って、リフレッシュできました。

また明日から仕事を頑張る。

 

東栄町に行ってきました/尾々から軒山登山

  

今日は11月23日。

  

東栄町に行ってきました。

東栄町に行って、「こんなに楽しい愛知の130山」(あつた勤労者山岳会編/風媒社)の

130山のうち72番目の山を登ってきました。

  

山の名前は「軒山(のきやま)」716、9メートル。(717mでもいいじゃないかな)

東栄町の尾々(おお)と呼ばれる小さな集落から登る山です。

新任から5年間過ごした東栄町でしたが、この尾々は2回だけ訪れました。

新任の年1985年に、誘われてどこかの家で飲みました。

もう誰に誘われて、誰の家で飲んだかも忘れました。

もう1回は、同じ年。

新任の学校からの夜の帰り道、山崩れで道路がふさがれていました。

(もう少し早いタイミングで帰路についていたら、巻き込まれていた可能性アリ(^_^;) )

その時に回り道で尾々の集落を通過した覚えがあります。

それから30年近い月日が流れ、尾々にやってきました。

1

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↑「こんなに楽しい愛知の130山」より

   
「尾々」という集落名。

「おお、こんなところに!」の「おお」ではないかと思ってしまいます。

北からも南からも自動車で行けますが、

道が細く、本当にたどり着けれるのか不安な道です。

  

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軒山は上↑の写真に載っています。一部アップにします↓

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さあ登るぞ。

「こんなに楽しい愛知の130山」の記述を参考にしました。

ちなみに1998年12月に踏査した結果からの記述です。

15年前の記述が今も通用するかも私が注目したいところです。

  

道路脇に車1~2台のスペースがある(地図より)

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ここだと思います。

地図通り、スペースがありました。

    

   

登り口はこの家(集落の入口の家)の北側から裏を巻き南方向に登る。

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↑上の写真の左手にあるのが「集落の入口の家」と思われます。

北側に行って登山口を探しました。

あった、あった。これが登山口↓

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途中西の足込地区へ下りる道と分岐するが左へ登る。

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これは分かりにくかったです。

これが分岐の写真です↑

右手の登り道が足込(あしこめ)への道です。

軒山への道は左手。小屋の横を通ります。

  

   

スギ木立の中を行くとすぐに峠に着く。

北側に馬頭観音の石碑がありその先には鉄塔がある。

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峠らしき場所に着いたが、馬頭観音が見つからない。

よく見ると馬頭観音らしき石の塊を発見。もしかして馬頭観音は倒れている?

よけいなお節介で、馬頭観音らしき石の塊を立てようとしてみる。

最初は片手でやろうとして、重くてできず。思ったよりズッシリである。

両手で立ててみると、やっぱり馬頭観音でした。

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なかなか美女な顔の観音です。

「愛知の130山」の記述通りの写真をめざしました↓

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馬頭観音の石碑がありその先には鉄塔がある」決まった!

  

     

    

南前方には伐採したスギを運び出す集材リフトが尾々へと延びている。

う~ん、このリフトは見つからなかった。

  

そのまま南へ登ると下から見えた反射板が立っている。

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「愛知の130山」の記述には、2~3年前にできた反射板と書いてありました。

つまりできて17~18年たった反射板ということです。まだありました。

   

三角点のある頂上はそこからすぐだ。

周りはきれいに伐採され・・・

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15年の月が流れて、頂上からの展望はありませんでした。

頂上を通過してしばらく下ったところに、伐採した場所がありました。

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鉄塔のために伐採した場所でした。

15年前の記述には、この鉄塔は登場しませんでした。

ここからの眺めがよく、太い木の切り株の上で昼食を食べました。

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コンロを忘れていて、カップラーメンは諦め。

コンロを忘れるなんて、危なっかしいです。反省。

パンとおにぎりを持っていたので、よかったです。

  

↓尾々の集落が手前。向こうに見えるのは新任の場所である御園でしょうか?

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下山。

赤白の鉄塔の脇を通り抜けて・・・

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この赤白の鉄塔は健在でした。

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↑町道に出たところ。ここがこちら側の登山口。

短い登山でしたが、東栄町の中でもなかなか奥深い尾々の集落に再訪し、

そこから山に登ることができました。

別世界を散歩した気分です。面白かった。(つづく) 

 

8月の大山登山の続き

  

今日は11月23日。

  

前投稿に続いて、丹沢・大山登山報告。

登ったのは8月18日。

  

登山道の写真を載せます。

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これは「夫婦杉(めおとすぎ)」

木の根元にあった看板をよく見て、よくわからない字がありました。

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「左右円?形の巨木」

「円」に似ていますが、よく見ると”けいがまえ”「冂」に「人」のようにも見えます。

写真も少しピンボケなのが残念。

もっとしっかり撮ればよかった、あるいはよく見てくればよかったと後悔しています。

「円形」「同形」?    家にある漢字辞典では解決できませんでした。

    

   

   

  

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「牡丹(ぼたん)岩」

足元をよく見てわかりました。

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天狗の鼻突き岩

石段左側の岩にある、拳が入るくらいの穴のこと。

これは天狗が鼻を突いてあけた穴だといわれている。


とのこと。穴には1円玉や10円玉が入っていました。

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誰が霊験を感じて始めたのでしょう。

ただ鼻を突っ込んだ穴ですよ。

  

  

  

  

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十六丁目追分の碑

この碑は、一七一六年に初建され総高三米六十八センチメートルもあり、

江戸期の大山信仰の深さをしめしている。

この石は麓から強力たちが担ぎあげた。

大山観光青年専業者研究会

  

大山阿夫利神社下社が1丁目であり、

頂上が28丁目でした。

16丁目はひと息つくにはいい場所でした。

ベンチに座って休みました。

    

   

  

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25丁目。

ヤビツ峠からの道と合流するところ。

   

  

  

  

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けっこうきつい坂でした。

看板の古さからして、遠い過去からの励ましですが、

うれしかったですね。

あと10分。

ふだんの生活の10分に比べると、格段に長い10分でしたが・・・。

  

  

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着いた!

久しく登山をしていないと、バテます。

でも頂上に着くと、そのたいへんさも吹っ飛びます。

  

   

  

頂上での景色。(遠景は全く見えず)

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缶コーラを飲みました。

350ml缶ではなく280ml缶でした。

せめて350ml缶にしてよと思いつつ、でもうまかった。

やりとげた後の冷たい飲み物はうれしい。

本当は生ビールがいい。しかし、この後東京まで運転だからあきらめました。

  

  

 

下山

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大山阿夫利神社下社に下る階段。

登りもたいへんでしたが、下りも神経を使います。

手すりはちゃんと持ちます。

  

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大山阿夫利神社下社からの眺め。

  

   

  

  

下山はケーブルカーを使いました。

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再びお店のあるアーケードを通過。

何も買わずに申しわけない気持ちでした。

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大山頂上で、日帰り温泉のチラシを配っている人がいました。

汗びっしょりの登山客でにぎやかだった頂上でのチラシ作戦は、きっと効果あり。

私は当初行く予定だった温泉をやめて、

いわば一緒に登った同朋が教えてくれた温泉に行きました。

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先着100名に間に合ったのか、ペットボトルもいただきました。

  

  

以上が大山登山報告でした。

  

  

  

   

登山した日の晩は東京ホテル泊まり。

近所にあったお店。

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地元の市名が入った店名。

なぜこの名前になったのだろう?

講座とセットの登山2.8月の大山(おおやま)

今日は11月23日。

  

前投稿の「黍生」に続いて「講座とセットの登山」について書きます。

  

8月19日に東京で講座がありました。

※参考ここでも道草 夏の研修12 HPで実践を広める(2013年8月26日投稿)

その前日に神奈川県伊勢原市にある丹沢・大山に登りました。

丹沢山系の山には登りたいと思っていたので、いい機会でした。

  

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自宅を出発して、麓の駐車場に着いたのは午前9時。

その駐車場にあった看板。

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いくつもある駐車場。満車が多し。

にぎやかな登山になりそうです。

  

さあ歩き始めました。

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細い舗装された道路やコンクリートの道を歩いていくと、

お店のあるアーケードも通過しました。

この山は観光地です。

  

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黍生と同じく、いやそれ以上に暑い日だったので、

木陰の道は快適でした。

  

男坂と女坂の2通りのコースがあるそうで、

男坂で行こうと思っていたら、いつの間にか女坂を登っていました。

女坂には「女坂の七不思議」というのがありました。

いくつか紹介します。

  

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女坂の七不思議 その二 子育て地蔵

最初は普通のお地蔵様として安置されたが、

何時の頃からか顔が童(わらべ)に変わっていた。

この地蔵に祈ると子供がすくすくと丈夫に育つといわれる。

大山観光青年専業者研究会

  

どれどれ、童の顔か確かめてみようと、近づいて見てみました。

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確かに健康そうな子どもの顔だと思いました。

  

  

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女坂の七不思議 その三 爪切り地蔵(つめきりじぞう)

弘法大師様が道具を使わず、一夜のうちに手の爪で

彫刻されたと伝えられている。

何事も一心で集中努力すれば実現できるとの教えである。

大山観光青年専業者研究会

  

  

面白いエピソードである。

そこから教訓につなげてしまうのが楽しい。

  

   

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女坂の七不思議 その五 無明橋(むみょうばし)

話をしながら通ると、橋から下に落ちたり、忘れ物や落し物をしたり、

悪い事が起きたりするという。

大山観光青年専業者研究会

   

一人登山なのでお話もせずに通過しました。

  

  

   

中腹ぐらい、大山ケーブルカーでもやってこれる場所に

大山阿夫利神社という大きな神社がありました。

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偶然ですが、今晩の番組「出没!アド街ック天国」(午後9時~)ではこの神社のことをやります。

行った場所のことなので、「ザ・テレビジョン」を見ていて、アンテナに引っかかりました。

今回は大山登山がメインだったので、神社はほとんど素通りでしたが、

偶然を大切にして見てみたいと思います。

  

  

大山阿夫利神社の片隅にこんな像がありました。

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「輝け杉の子」というタイトル

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説明を読んでみました。

戦時中、空襲が激しくなってきた川崎市から大山のの麓に、

子どもたちが疎開してきたようです。

こう書いてあります。

 

(前略)この像は、名状し難い困苦の中から祖国の再建を期する当時の幼い子らの姿を現し、

困難な中で引き受けられた全地域の方々への感謝と平和への誓いをこめて

当時の児童教職員、現教職員、一般市民、そして川崎市の協力によって

疎開解散40周年を記念して建立した。

製作者は圓鍔(えんつば)元規氏である。

最後に、当地で爆死した米須清博君の霊の安からんことを切に祈る。

昭和60(1985)年8月15日

川崎市学童疎開記念碑建設実行委員会

   

圓鍔元規さんは、川崎市出身の彫刻家。

お父さんの圓鍔勝三さんも有名な彫刻家のようです。

気になったのは疎開地で爆死した米須清博さんのこと。

少し調べたら、ヒットしました。

文芸評論 白木恵委子「将棋の駒をにぎりしめて」 

林計男(かずお)さんの書かれたサイトです。

清博さんが爆死したときは、友達と将棋をしていた時で、

亡くなった時には、手に将棋の駒を握りしめていたそうです。

作家の白木恵委子さんが、この清博さんの死を童話にしているそうです。

白木さんのお父さんも有名人でした。

「かわいそうなぞう」を書いた土家由岐雄さんでした。

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なかなか頂上に行けず。次の投稿につづく。

 

 

  

 

 

  

 

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