今日は11月3日。
昨日、今年最初のいわゆる「喪中はがき」が届きました。
国語辞典で「喪中はがき」を調べても、載っていませんでした。
「喪中はがき」の正式名は何だろうと疑問に思いました。
調べてみました。
「年賀欠礼」あるいは「年賀欠礼状」のようです。
でも「喪中はがき」でも通用するようで、ウェブ上ではたくさん検索で引っかかります。
最初の年賀欠礼状で、K先生が亡くなられたことを知りました。
9月2日、81歳でした。2学期が始まる直前の日曜日でした。
あの日、K先生はお亡くなりになっていたんだ。
K先生は、私が愛知県の山間部に新任で勤めた時の先輩先生。
当時53歳ということかな。今の自分が、あと2年で追いつく年です。
新任の1年間をあくせく頑張ってやり終えた時に、
こんな生活をもう30年もやっているなんてすごいなと思った覚えがあります。
(私も、その年に近づいてきました。嘘みたい!)
通勤時間が30分ほどかかるのに、学校を開錠するのは、ほとんどK先生でした。
朝の7時には学校にいて、実質、朝の管理当番でした。
お湯を沸かし、コーヒーをセットされていました。
私が学校に着くと、すぐにコーヒーが飲むことができました。
自分の仕事だけでなく、他の人のためになることをさらりとやっている姿が格好良かったです。
私も朝のコーヒーセットは、それ以後、K先生を見習ってやっています。
忙しいと、自分のことだけになりがち。自己中になりがちです。
小さくても他の人のためになることを朝からやることは、
心の健全化にはいいことだと思います。
腰が低く、にこやかで、偉そうな新米教師にアドバイスをしてくれました。
ごっつい風貌に似合わず、オルガンをひいてしまい驚き。
当時はつくば博があった年(1985年)で、学校で「ミニつくば博」を企画。
講堂がしっかり飾り付けられ、新聞にも掲載されました。
アイデアあふれる先生でした。
10年ほど前に、廃校になった新任勤務校での会に出席。
K先生は、70歳前後だったのに、あまり変わらず元気でした。
それ以後年賀状のやりとりは継続していましたが、ずっとご無沙汰でした。
親しい人の死は、いずれ自分にも順番が来ることを感じさせます。
生きているからいろいろできる。
人生を無駄遣いせずに、、
やらなければならないことは手早く片付けて、
やりたいことを中心に生きていきたいですね。