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2012年4月18日

2012年4月18日 (水)

写真/太陽と飛行機雲/豊川川岸の大変化

  

今日は4月18日。再スタートから5日目。(10日目まで書きます)

   

RIMG0692太陽と飛行機雲
  

今日の学校帰りに撮った1枚。

飛行機雲と夕方の太陽が重なっていました。

すぐに車を停車させ、撮影しました。

太陽の中を飛行機が通過したようにも見える景色でした。

   

   

もう1枚。これも今日の写真。

RIMG0683

前任校で子どもたちと探検した豊川の川岸です。

2009年3月に撮影した同じ場所。

無題
「2009年3月投稿 豊川に迫る」htmlより

  

どうしちゃったんだろう。

かき分けて豊川に迫った枯草がぐっと減って、

菜の花畑のようになっていました。

鬱そうとしていなくて、すっきりしました。

菜の花の種を誰か蒔いたのでしょうか。

草刈りもしたのかな。

この大変化に驚き、こちらも急きょ車を停めての撮影。

2か月ぶりに学校へ/三明寺前のポピーが今年も咲き始めました

  

今日は4月18日。再スタートから5日目。復帰まで今日を入れずに14日。

  

今日は復帰に向けて大きく一歩を踏み出しました~

~なんてね、大げさかな。

でもちょっと勇気がいりました。

午後4時過ぎに学校に久々出勤しました!   

     

2月18日から休み始めたので、学校に最後に出勤したのは2月17日でした。

だからちょうど2か月間、全く学校に行きませんでした。

配慮してもらい、全く行きませんでした。

2か月ぶりの学校・・・出張が多くて出会えた人は少なかったけど、

昨年度まで一緒に勤めていた人たちに会いました。

「こんにちは」「元気そうじゃん」など声をかけてもらいました。

ありがたかった。

今、自分の代わりに働いてくれている講師の先生と会いました。

高校の同級生!

気安い人でよかった。

復帰したらやることの打ち合わせを関係の先生たちとしました。

正式に復帰は5月1日だと思ったら、その日は振替休日だったので2日に。

今日を入れずに、あと14日です。

来週、少しずつ学校に行き、いろいろ準備して5月2日スタートです。

   

今日は1時間あまり学校に滞在して帰りました。

体調はOK。体も心も軽かったです。2か月前と違う自分を感じました。

やっぱり2か月前の自分はおかしかった。

2か月前の自分を客観視できました。

2か月の休養は無駄ではなかったです。

   

   

帰りに三明寺前を通りました。

ふと、ポピーが咲き出していたのに気がつきました。

RIMG0686 RIMG0690
  

5月2日はきっと花盛り。

その前を通って出勤する自分をイメージしました。

 

 

 

 

清和天皇→「清和源氏」

  

今日は4月18日。再スタートから5日目。

  

興味関心は広がる。

前投稿の続き。藤原良房が初めて摂政になったことを書きました。

   

藤原良房が摂政になった時の天皇は清和天皇

この清和天皇の名を聞いて思い出すのが「清和源氏

「清和源氏」って何だ?

調べてみました。まとめます。

   

今の天皇家も世継問題がありますが、平安時代も同じ。

たくさんの世継ぎをと思っていた清和天皇にはたくさんの皇子がいました。

第六皇子貞純親王(さだずみしんのう)もその一人でした。

その貞純親王の子に「源経基(みなもとのつねもと)」という人がいて、

この人の代にて源姓を賜り、家臣となったそうです。

この源経基に始まる源氏が、「清和源氏」だそうで、この人の子孫には有名人がたくさんいます。

他にも村上天皇を祖とする「村上源氏」とかもあるそうです。

   

「清和源氏」の系図は、次のサイトがわかりやすかったです。

「清和源氏から出た戦国武将」html

「清和源氏」html  

   

源義朝、源頼朝、木曽義仲、足利尊氏、新田義貞、細川勝元、山名宗全、

徳川家康、今川義元、武田信玄、明智光秀、森蘭丸、柳沢吉保、吉良上野介などなど・・・

有名な人が確かに多い。本当だろうか?

   

平安時代は、貴族と武士がまだまだ上下関係のあった時代。

清和天皇が祖とは言え、源氏は武士。家臣。

そういうことが起こるんだと思いました。

皇子の息子・・・源経基は複雑な気持ちだったでしょうね。

   

平氏は「桓武平氏」が有名。

   

    

藤原氏については、まだまだ調べましたが、

後日投稿します。

 

   

藤原良房が摂政になる

  

今日は4月18日。再スタートから5日目。

   

2月28日放映「さかのぼり日本史 平安時代 藤原氏はなぜ権力を持ち続けることができたのか 

④ 応天門の変 藤原良房摂政となる」を見ました。

    

応天門の変はちょっと気になっていた事件。

この事件があって、藤原氏のライバルがいなくなり、

藤原良房が皇族以外で初めて摂政になったことを知りました。

現在の応天門。

Heian18
http://www.geocities.jp/kyobura5/07heian/heianjingu.html

  

応天門の変とは・・・・

次のサイトが詳しく、面白いので紹介し、そこから引用します。

「伴大納言絵巻 応天門の変 2008.1.1NHK BS特集」html

   

応天門の変(おうてんもんのへん)は、平安時代前期の貞観8年(866)に起こった政治事件である。

応天門が放火され、大納言伴善男(ばんのよしお/とものよしお)は

左大臣源信(みなもとのまこと)の犯行であると告発したが、

太政大臣藤原良房(ふじわらのよしふさ)の進言で無罪となった。

その後、密告があり伴善男父子に嫌疑がかけられ、有罪となり流刑に処された。

これにより、古代からの名族「伴」氏(大伴氏)は没落した。

藤原氏による他氏排斥事件のひとつとされている。
   

      

ここでさらに興味が向いたのが、この事件のことを描いた「伴大納言絵巻

平安時代末期の絵巻物。

応天門の変の約300年後、後白河法皇が「年中行事絵巻」とともに常磐光長に描かせた、と言われているそうです。

ここにも絵を転載してみます。

Dainagon48
   

これはまだ一部。

事件に関する出来事がいくつも描かれています。

この絵についてもじっくり調べてみたい。またいずれ。

上記のサイトはお薦めです。

 

 

メヒカリの唐揚げ

  

今日は4月18日。再スタートから5日目。

   

夕飯シリーズ3本目。

メヒカリの唐揚げを作りました。

冷凍のメヒカリを油で揚げるだけだから簡単。

一緒にナンコツの唐揚げも作りました。

  

「メヒカリ」・・・語源が予想がつく名前。

調べてみたら、けっこう話題の多い魚でした。

Gamagourinomehikari_aichi_p_1
「ぐるなび 蒲郡めひかり」/

  

やっぱり、目が大きく、光を反射して光ることから、この名がついたそうです。

すぐ近くの町、蒲郡市では、県内の9割を水揚げしていて、

市を代表する魚のようです。

蒲郡市では、メヒカリのキャラクターも作るそうです。名前は公募して「ぴか丸くん」だそうです。

一度どんな様子か、蒲郡に行ってきたいです。

  

次のサイトもすごく参考になりました。

メヒカリの絵が楽しい。

Bottommehi
「メヒカリ information」html

ふらっと調べたら、こんなこだわりの人のサイトに出会えて、すごく得した気分です。

 

最後に魚屋三代目さんに許可をいただいて、

素晴らしいメヒカリの写真を掲載します。

おいしそう!

D0069838_20173677
http://nsakanaya.exblog.jp/4628264

 

 

 

COOKPAD/鶏肉料理に挑戦

   

今日は4月18日。再スタート5日目。   

 

前投稿に引き続き、夕食シリーズ2本目。

夕飯づくりをよくするようになり、面白いサイトを教えてもらいました。

手近にある材料をうちこむことで、

その材料を使ったメニューを即座に紹介してくれるサイトです。

「COOKPAD」/

   

先日は、鶏肉が食べたいと思い、鶏肉をうちこみました。

たくさん出てきたメニューの中で挑戦したのが、

チキンのハニーレモンチーズソース」です。

(なんかこのタイトルの日本語、おかしいぞ)

D9ece5cee7a061fb82b713d9d6ae9cd3
http://cookpad.com/recipe/1706031

   

写真とは、似ても似つかない?ものができましたが、

味は家族に好評でした。

レシピに書かれている通りに作るのですが、

なぜ「みりん」を入れるの?

なぜここで「片栗粉」?

疑問に思いながらやりました。

とにかく書かれている通り。

先日作った「四日市とんてき」※四日市とんてきに初挑戦同様、蜂蜜が登場。

蜂蜜って、けっこう料理に登場するんだと思いました。

  

まだまだ初心者です。

四日市とんてきに初挑戦/必須

 

今日は4月18日。再スタートして5日目。

   

この休んでいる期間、奥さんが午後働いていることもあって、

夕食を担当しています。

といっても、そんなに体験をしたことがないので、ほとんどが初体験。

発見や疑問の連続でした。そんな体験の報告も書いていきたいです。

    

   

とんてき」を作りました。

次のサイトを参考にしました。

Fe6220a35b971c87bc8587c349e12621
「COOKPAD お店の味!四日市のとんてき☆byでみんご」1

   

  

もちろん初めての挑戦。

ソースを作るときに、ウスターソースとしょうゆを混ぜます。

本当にこれでいいの?と思いながら混ぜました。

こんなの誰が考えたのだろう?

 

  

四日市とんてき

四日市って、「とんてき」が有名なのかな?調べてみました。

そもそも「とんてき」とは?

豚肉のステーキだから、ポークステーキ。カタカナで「トンテキ」と書くと思いますが、

「四日市」がつくと、ひらがなで書くようです。

  

発祥は四日市市内の中華料理店「來來憲」(らいらいけん)である。

とんてきは同店の看板メニューであったが、当時は四日市名物として意識されることはなかった。

2005年(平成17年)秋に四日市市職員の研修会で、

豚肉のステーキに光を当てようと四日市大学の小林慶太郎准教授が発案したことが、

ご当地グルメとしてPRしていくきっかけとなった。

2008年(平成20年)には「四日市とんてき協会」を設立し、

とんてきマップを作成するなどして本格的な広報活動を開始した。

協会の初代会長には発案者の小林准教授が就任している。

また、名古屋・栄や東京・渋谷など四日市市外にも四日市とんてきと出す店舗が進出し始めている。

マスコットキャラクターはテキブ〜。

2010年4月に正会員として愛Bリーグに認められ、同年9月のB-1グランプリに三重県から初参加している。

「Wikipedia 四日市とんてき」D

091116_01_03
http://image.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&p=%E3%83%86%E3%82%AD%E3%83%96%EF%BD%9E   

   

まだまだ最近のこと。市職員の方たちのアイデアは、どうやら成功したようです。

グローブのように豚肉に切り込みを入れましたが、

これも「四日市とんてき」の特徴でした。

今回はだいぶ焦がしてしまいました。

キャベツが千切りではないと突っ込まれました。(四日市とんてきは千切りが必須)

次回は反省を生かそう。

  

   

う~ん、今気づく。「必須」を今まで「ひっすう」とい読んでいました。

「ひっすう」とうって変換しても出ないので、調べたら「ひっす」!

最近の写真

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