映画「ブラインドサイト」4・・・登頂か下山か
今日は4月29日。
前投稿のつづき。
映画「ブラインドサイト~小さな登山者たち~」(2006年)のことで4本目の投稿。ラスト。
映画のクライマックスは、最終キャンプ地でのこと。
体調を崩して、これ以上登るのは無理という判断で、
3人の子どもが、下山します。
残ったメンバーで、ラクパリ頂上を目指すか、それとも止めるか。
私は登るべきだと思って映画を見ていました。
ここで意見が分かれます。
リックはこう考えていました。
僕は頂上を目指すのは無意味とは思わない。
盲目の子どもたちが頂上に立つのは、ある意味象徴的なことだと思う。
”ここまでやれる”と自分の心と体に刻み込むのは素晴らしい。
リックはこの考えで、最高峰の山々を次々に登ってきたのでしょう。
そして彼の仲間も、彼の考えに賛同し、命がけのサポートをしてきたと思います。
サブリエは、先にも書いたけど、こんな考え方。
頂上はどうでもいいの。
力を合わせて楽しく登ることが大事よ。安全にね。
私たちは安全だし、とても楽しんでいる。
頂上登頂より、それが大事だわ。
頂上に登れたらいいし、登れなくてもいい。
そんなサブリエは、3人の子どもが下山した時に、全員が下山することを希望します。
私にとって、一番重要なのは、生徒が連帯を学ぶことです。
みんなが一つになって、最も弱い者に気を配り、彼らを最優先に考えねばなりません。
だから私がひそかに願っていたのは、今日、全員で山を下りることでした。
チームとしてです。
生徒たちの目的は、登頂そのものではなくて、チームの一員となることです。
エリックを知り、新しい友人を得ることです。
この旅では、それを望んでいました。
彼らは”自分たちの山”に登りました。
盲人でも生きていけると証明したのです。
しかし、エリックの仲間からは、
想像していたより山が怖いところだったから、怖気づいたのではという意見も出ます。
きっと彼らは、ここまで登ってきたのだから、子どもたちに登頂を成し遂げさせたい、
僕らがサポートすれば、必ず登らせられると思っていたのでしょう。
お互いに子どもたちのことを思っているのに、ずれていきます。
エリックや彼の仲間には、すぐ近くに見えるラクパリの頂上は見えていますが、
サブリエには見えていませんでした。
今いるキャンプ地が頂上に見えたと思います。
エリックが理解します。
ラクパリ頂上までたった450m。
旅の99%を終えて、残りは1%だった。
頂上直前で登山は終わった。
僕は登山家だから、頂上に登りたい。
だから失敗といえる。
でも子どもたちは違う。だから僕は考えを変えた。
エリックは下山を決意します。
さらに、エリックはラストでこう語ります。
(山では)自分は人間なんだと感じます。
人間の弱さを感じます。
温かさ、食べ物、水、そして友人が必要だと思わせます。
最後の数日、サブリエの言葉が身に染みました。
みんなが一緒に苦しむ時こそ、最も強い絆が生まれる。
この旅は、考えていたのとは少し違いました。
主役は山よりも友情や連帯感だったのです。
ラストにふさわしく、穏やかにエリックは語っていました。
映画はエリックの語りで上手に収束したと思いました。
この登山はエリックの側からの提案でした。
サブリエも賛成しましたが、
エリック側とサブリエ側の考え方の違いが事前にすりよれていなかったことが、
映画中の大人たちの言い合いになりました。
映画を観終わった後は、私は登れば良かったのにという気持ちが強かったです。
でもあらためて、なぜサブリエがこう考えたのか考えました。
先にも書きましたが、やはり頂上が見えないというのは、頂上への意欲を高めないと思います。
でももっと深い理由。サブリエの「最も弱い者に気を配り」という発想。
この発想の辺りから生じてくる理由があると思います。
サブリエは、ドイツから一人でやって来て、チベットで盲学校を始めた人。
浅い理由ではないと思います。もう少しサブリエについて知りたいです。
(気になったのは、サブリエの頑固さ。あのように頑なになった理由も知りたい)
2001年に本も発行されています。この本を入手して読みたいですね。
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