「日本プロ野球復活の日」3 藤村富美男/伝統の巨人・阪神戦
今日は4月19日。再スタート6日目。
前投稿のつづき。
「日本プロ野球復活の日~昭和20年11月23日のプレイボール」(鈴木明著/集英社文庫)より
藤村富美男(1916年8月14日 - 1992年5月28日)
昭和11年日本にプロ野球リーグが発足すると、
藤村はすぐタイガースに入り、ピッチャーに登録された。
しかし、気性としては、どうもバッターの方が柄に合っている。
昭和12年にセカンドに転向し、打撃専業になると、
忽ち三割を打ち、ベストテン3位に顔を出した。
豪快なツラがまえ、大きなジェスチャア。
藤村富美男は、まるで阪神タイガースを背負うために生まれてきた男のようだった。
しかし、藤村も戦争ばかりは勝つことはできない。
昭和12年に、中国と戦争を始めた日本は、
大量の若者を前線に送り込むことになった。
昭和14年、24歳だったガッチリした男は、1枚のハガキで、軍隊入りが決まった。
「野球で、少しは金も稼いだし、思い残すことはない。
だがな、おれは簡単には死なんぞ。生きて、生きて、生き抜いてやる」
藤村は、性格そのもののような言葉を残して、ユニフォームを軍服に着がえた。
軍隊に入ってからの藤村は、まさにその通りの運命だった。(198p)
藤村選手は生き延びました。
生き延びて、再び阪神タイガースで活躍し、「ミスタータイガース」と呼ばれます。
伝統の巨人・阪神戦
いまでも多くのファンは、「伝統の巨人・阪神戦」という。
しかし、その「伝統」なるものは、実際には昭和11年から昭和15年までの5年間を
指したものだといってもいい。
11年巨人、12年阪神、13年阪神、14年巨人、15年巨人と、
優勝はそれぞれ入れ替わったが、2位はいずれも阪神か巨人のどちらかであった。
プロ野球初期の「伝統」を作りあげた名選手沢村、スタルヒン、三原、水原、白石、呉、
平山、川上、吉原、楠、千葉、中島、若林、西村、松木、藤村、本堂、景浦、山口、藤井
などという名前が、それぞれに個性と個性をぶつけ合って、
華やかに競い合っていたのもこの時期である。
それは、いま思えば日本が太平洋戦争へと突入する直前の、
一種の徒花(あだばな)のようなものだったかもしれない。(206-207p)
かねてから疑問には思っていました。
いつ「伝統」が始まったのかを。
ペナントレースが始まったのが昭和11年。最初からの5年間だったのですね。
昭和20年8月15日に終戦。
その同じ年の11月23日。プロ野球はスタートしていました。
そこに集まった人たち、集まれなかった人たちの話がたくさん詰まった本でした。
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