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2011年6月27日

2011年6月27日 (月)

昭和20年の出来事を学年だよりにしました

   

今日は6月27日。

先日の投稿「昭和20年6月19日~10月15日の出来事」を利用して学年だよりを書きました。

今日発行しました。

   

6年生の実力                                   平成23年6月27日

【昭和20年6月19日~10月15日の出来事】
7月12日(火)の「戦争体験等を聴く会」では、

☐☐駅の近くに住む〇〇〇〇さんに来ていただいて、

貴重な体験を話してもらいます。

〇〇さんはもともとは豊橋に住んでいました。

その時に、豊橋空襲にあい、自宅は燃えてしまったそうです。

その後、旧音羽町に住みます。

そこから豊川海軍工廠に通っていて、8月7日に空襲を受けました。

幸いにも、命を落とさずにすみました。

「戦争体験等を聴く会」では、豊橋空襲と海軍工廠空襲の話が中心で

〇〇さんから話を聴くことができると思います。

貴重なお話をしっかり聴きましょう。
 
太平洋戦争が終わったのは昭和20年のこと。

昭和20年って、どんな年だったのでしょう。

みんなは平成生まれの小学生。

昭和20年がどんな年かは、なかなか想像できないことと思います。

そこで、豊橋空襲のあった6月19日から10月までの、

戦争に関係ある出来事を並べてみました。

当時の人たちに、どれだけ情報が行きわたっていたか定かではありません。

しかし、もし出来事が全て新聞などで伝わっていたとしたら、

当時の人たちはどう思ったでしょうか。

一生懸命想像することで、当時の人たちの気持ち、

その年の様子が少しでも理解できるかと思います。

出来事の中には、どんな様子だったのか不明なものがたくさんあります。

私もわからないものがあります。

その都度調べていきたいです。みんなの自主勉にも期待したいです。

興味に思った出来事については、積極的に調べましょう。

   

※ここで先日投稿した「昭和20年6月19日~10月15日の出来事」をコピーして載せました。「昭和20年6月19日~10月15日の出来事」html

     

【京都も空襲を受けていた】
京都は重要な文化財があるから、空襲を受けなかった

・・・それは事実ではありませんでした。

6月26日の空襲も含め、合計20回、死者302人が記録されています。

文化財も被害を受けています。

ただ他の同規模の都市に比べて、京都の空襲の被害は少なかったです。

その理由は、アメリカの原爆の第一候補地だったからだそうです。

原爆の威力を見るためには、被害が少なく、わかりやすい場所が必要であって、

京都が候補地でした。しかし、昭和20年6月末に候補地から外れます。

修学旅行で見て回る文化財の多い京都は、昭和20年、風前の灯(ともしび)だったのです。

    

    

こんな内容の学年だより「6年生の実力」でした。

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