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2011年2月12日

2011年2月12日 (土)

2月12日奇跡の?本宮山

  

今日は2月12日。

息子の少年野球練習試合の手伝い・応援で新城市へ。

朝、グランドから見た本宮山にビックリ。

晩に降った雪をのせた本宮山は、

今まで見た本宮山の中でトップの美しさでした。

どこの名山?だろうと思うほど。

撮影の直後に、雲で隠れてしまい、

昼過ぎに再び本宮山が姿を見せた時は、すでに表面の雪はありませんでした。

奇跡的に見られた本宮山です。

それでは写真を2枚掲載します。

RIMG0014奇跡の本宮山 
 

RIMG0015奇跡の本宮山 
 

 

2月11日の本宮山

  

今日は2月12日。

本当は今日、仲間と大川入山に行く予定でした。

10日晩で予報で、12日は山の天気が荒れると考え、延期になりました。

3月に登ることになりました。あ~、登りたかった。

そんなわけで、今日は予定変更で息子の練習試合の手伝い・応援で新城市へ行きます。

大川入山に行けない代わりに、昨日(11日)またまた本宮山へ。

天気が悪くても本宮山なら大丈夫と、奥さんのOKをもらい登りました。

雪と雨の中、登ってきました。

    

RIMG001715~16丁目 RIMG0019雪と岩の道
  

RIMG0020だいぶ雪が増えた RIMG0024
 

RIMG0026 RIMG0029鳥居の石

落ちそうで落ちない石は、今回も落ちていませんでした。

   

RIMG0031五十丁目雪景色 RIMG0032頂上社前の写真 
  

RIMG0033赤く大きな鳥居 RIMG0038今日の頂上 2月11日の頂上

    

RIMG0041今日のカップヌードル RIMG0051黒い鳥居 
  

RIMG0054雪の下り道 雪の下り道

     

今朝は気持ちのいい筋肉痛。こうでなくっちゃ。





  




 

ウズベキスタン勉強3/NORIKO学級

   

今日は2月12日。

前投稿のつづき。

「体験取材!世界の国ぐに36 ウズベキスタン」

(文・写真 吉田忠正/監修 中島章子/ポプラ社)より引用。

    

ウズベキスタンで外国語といえば、ロシア語か英語が中心で、

つづいてドイツ語、フランス語、中国語、韓国語などですが、

日本や日本語に関心をいだいて、学ぼうとする人も増えています。

(中略)

フェルガナ州の地方都市リシタンに、

日本語を教える学校があります。

ウズベキスタンとして赴任していた大崎重勝さんが、

休日を利用してリシタンの子どもたちに日本語を教えはじめたのが始まりです。

「もっと日本語を学びたい」という子どもたちの声におされて、

大崎さんは定年退職を機に、

1999年、退職金を投じて、奥さんの紀子(のりこ)さんとともに、

NORIKO学級を設立したのです。

「いつでも子どもたちが集まり、無償で日本語を学べる場所をもうけたい」と。(30p)

     

大崎さんは残念ながら2005年に亡くなりましたが、

NORIKO学級は他の人たちによって現在も引き継がれいます。

ここで学んだ生徒が、日本に留学することもあるとのこと。

今度来られる留学生は2人。1人は日本語を話せるとのこと。

この学級に関係するだろうか。

※「ようこそウズベキスタンへ/NORIKO学級」http://www.geocities.jp/uzbekfriends/rishtannoriko.html

Ris201 

※「リシタン ジャパンセンター NORIKO学級」http://rjc.bz/noriko.html

DSC00110 
    

ほらほら、立ち止まって少し深く勉強すると、

知らなかったことがどんどん見えてきます。

ウズベキスタンにこのような学級があるのですね。(つづく)

ウズベキスタン勉強2/日本人捕虜が残したもの

   

今日は2月12日。

前投稿のつづき。

   

太平洋戦争後、ソ連に抑留されて強制移送された日本人捕虜が、

ウズベキスタンで何をしたか。

前投稿では、ナボイ劇場の建設に参加したことを書きました。

次の本にもナボイ劇場建設にかかわる日本人のことが書かれてました。

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「ウズベキスタンの桜」

(中山恭子著/KTC中央出版)

    

中山恭子さんは、1999年にウズベキスタン共和国特命全権大使として赴任。

3年間勤めました。その時の体験をもとに書かれた本です。

引用します。

   

首都タシケントではナヴォイ劇場を日本人が建設したことはよく知られており、

その当時の日本人を語る逸話も伝えられています。

金融機関に勤めていた方の話です。

「子どもの頃、日本人が入っていたラーゲリ(収容所)の近くに住んでいた。

日本人は毎朝、挨拶をし隊列を組んで仕事場に出かけていった。

夕方また隊列を組んで戻ってきた。

ある時お腹が空いていることだろうと思って、

友達とラーゲリの垣根の壊れたところからパンと果物を差し入れた。

そうしたら2,3日後に、手作りの木のおもちゃが置いてあった。

親から『日本人は規律正しい人々だ。

勤勉で物を作ることがとても上手な人達だ。

そしてお返しを忘れない律儀な人々だ。

あなたも日本人を見習って大きくなりなさい』と言われて育てられた」(中略)

戦後この地で強制労働に従事した日本人が

その日々の生活を通して残した貴重なものが、

今の日本に対する信頼を形成する上でどれほど貢献していることか。

苦しい抑留生活の中でも規律正しく、

優しさを失わなかった日本人に心から敬意を表し、

心から感謝したいと思います。(212p)

   

ナボイ劇場建設のみならず、日本人捕虜の働く姿は、

ウズベキスタンの人たちの心に影響を与えたようです。

 

「体験取材!世界の国ぐに36 ウズベキスタン」

(文・写真 吉田忠正/監修 中島章子/ポプラ社)より引用。

     

ウズベキスタンに送られた日本人は約2万5000人にのぼります。

石炭の採掘、水力発電や道路、水路の建設などにかりだされました。

強制された仕事とはいえ、一生けんめいはたらくすがたに、

現地の人びとは感銘を受けました。

きびしい作業のさなか、現地で亡くなられた人もたくさんいます。

その人たちの墓を、現地の人たちが、

そうじや草むしりをして守ってきました。

さらに、2002年には日本人の寄付とウズベキスタン政府の手により、

13か所ある日本人墓地の整備が完成しました。(31p)

       

      

今度勤務校に来られる留学生も、きっとこんな歴史を勉強していることだろう。

今の日本人がどう見えるだろう。

まだまだ当時の日本人らしさは失われていないと思うが。

     

 

    

    

 

 

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