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2010年9月27日

2010年9月27日 (月)

昨晩の高杉晋作4 確乎たる「信念」は他を恃(たの)まない

 

今日は9月27日。

前投稿のつづき。

「歴史街道」10月号(PHP研究所)からの引用。

   

奇跡の軌跡     黒鉄ヒロシ

   

高杉晋作と坂本龍馬は、共に幕末期に於ける奇跡の人である。

短い期間とはいえ、その奇跡の線が一点に

交わったことも奇跡である。

薩長同盟立ち会いのため、京へと向かう龍馬に、

晋作が上海土産のピストルを贈り、

更に槍の達人三吉慎蔵を護衛に付けたことも、

後の寺田屋の件を思えば、奇跡である。

晋作と龍馬が、15万対4千の兵力差を逆転して、

勝利した下関海戦も奇跡である。

まるで奇跡の大安売りだが、もはや現代では売り切れか。

晋作が奇跡の線の彼方に消えたあと、

残った龍馬は

奇跡の総まとめともいうべき大政奉還を成し遂げる。

2人の活躍を「奇跡」の2文字で片付けて、

口あんぐりと感心するだけで良いものか。

奇跡を成さしめた2人の「決断力」にこそ注視したい。

「決断」を支えるのは、「勇気」であり、それは「信念」から生まれる。

確乎たる「信念」は他を恃まない。

「信念」のスタートは固定観念を疑い、

死の恐怖を踏みつけるところから始まる。

現代人は何事もすっかり疑わなくなったし、

死から逃げ回ってばかりいる。

この辺りに「売り切れ」の因があるようだ。

   

    

「確固」ではなく「確乎」

「頼む」ではなく「恃む」

意味が強まるのだろうか。強まるように思えます。

そんな「確乎たる『信念』は他を恃まない。」の一文に魅かれます。

固定観念を疑うことはやっていきたい。

   

    

昨晩の「龍馬伝」はいい勉強のきっかけになりました。

  

昨晩の高杉晋作3  晋作と龍馬が組んだ戦い

  

今日は9月27日。

昨晩の「龍馬伝」は、高杉晋作と坂本龍馬が手を組んで幕府軍と戦った

第二次長州征伐を放映していました。

長州側は四境(しきょう)戦争と言いました。

     

今書店に並んでいる月刊誌「歴史街道」10月号の特集は「晋作と龍馬」

タイムリーな特集なので、買って読みました。

4910196111007

      

この本によると、四境というのは、

いくつかある藩境の内、

山陽道の芸州口、山陰道の石州口、

関門海峡の小倉口、瀬戸内海の大島口の4か所を指します。

この4つの関門から攻め入ろうとする幕府軍と、

それを食い止めようとする長州軍との激突だったので、

四境戦争と言われます。

     

高杉晋作と坂本龍馬が組んだのは、

小倉口での戦いでした。下関海戦とも呼ばれます。

1866年6月17日未明から行われた戦いでした。

龍馬が乗っていた船はユニオン号と言う蒸気船。

グラバー商会を通じて長州藩が2万7千両で購入した船で、

幕府を欺くために名義は薩摩藩のものとし、

操船するのは龍馬率いる亀山社中でした。

したがって、船名も薩摩藩においては桜島丸

長州藩では乙丑丸(いつちゅうまる)と呼んでいました。

雑然とあった記憶がつながりました。

    

ドラマ「龍馬伝」では、戦いはすぐに終わったように思えますが、

8月まで続きます。

命を振り絞って長州藩の勝利を導いた高杉晋作は、

翌年1867年4月14日に労咳(ろうがい)・肺結核で亡くなります。29歳。

同じ1867年10月14日、龍馬は朝廷に大政奉還を上奏。

11月15日に龍馬は京都の近江屋で殺されます。33歳。

下関海戦で大活躍した2人の命は、ともに1年前後だったのです。

やっぱり「龍馬伝」は大詰めです。   

    

     

「歴史街道」10月号の1ページ目は、

黒鉄ヒロシさんが晋作と龍馬について書いた絵と文でした。

印象に残ったので、次の投稿で引用します。

   


     


      

    

昨晩の高杉晋作2  馬関とは?

  

今日は9月27日。

昨晩の「龍馬伝」のタイトルは「馬関の奇跡」でした。

「馬関」とは?

デジタル大辞泉によると、

山口下関のこと。下関の古称赤間関(あかまがせき)を赤馬関とも書いたところからいう。」

とありました。

    

いつ「下関」という地名に変わったのだろう。

「日本地名辞典」(東京堂出版)によると、

「(前略)1889年4月1日の町村制施行時には県下唯一の市、赤間関市として発足。

(中略)1902年6月1日下関市に改称。

(中略)下関の名称は869年の官符にみえるのが文献上の初見で、

周防国(すおうのくに)熊毛郡竈戸関(かまどせき)を上関と称したのに対してよんだもの」

   

フムフム・・・・「下関」は古い地名のようですが、

第二次長州征伐(1866年)の頃は、「赤間関」「馬関」の地名が有力だったので、

「馬関の奇跡」なのでしょうか?

しかし、1863~1864年の長州藩と英仏蘭米との武力衝突事件は

「下関戦争(馬関戦争)」と呼ばれます。

日清戦争の講和会議(1895年)の条約名は「下関条約」です。

そうなると、「下関」「赤間関」「馬関」は並行して使われていた可能性があります。

   

愛知県がかつて尾張国と三河国に分かれていたように、

山口県はどうだったのだろう。

調べました。

周防国と長門国(ながとのくに)でした。

周防国が山口県の東南半分、長門国が西半分。

長門国が俗に長州とも呼ばれていて、中心部が萩でした。

長州藩の名称につながりました。

    


   

愛知県の東の片隅で、

山口県の地名についてあれやこれや調べてみました。     




昨晩の高杉晋作

   

今日は9月27日。(お、妹の誕生日だ)

昨晩の「龍馬伝」は、伊勢谷友介さん演じる高杉晋作が中心でした。

映画「出口のない海」(2006年)でイマイチ目立たなかった伊勢谷さんが、

「龍馬伝」では十分恰好がいい。

※「ここでも道草/伊勢谷友介さん演じる高杉晋作登場」

http://mitikusa.typepad.jp/blog/2010/07/post-be96.html

昨晩のテレビ番組をデジカメ撮影。

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RIMG0035高杉7 RIMG0036高杉8

RIMG0039高杉9

   

ずらっと並べてみました。

今日の初仕事。      

        

伊勢谷友介さんが出演している

映画「十三人の刺客」も9月25日に公開。

おそらく見には行けないので、レンタルを待つことにしよう。

      


     


  
  
  

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