昨晩の高杉晋作2 馬関とは?
今日は9月27日。
昨晩の「龍馬伝」のタイトルは「馬関の奇跡」でした。
「馬関」とは?
デジタル大辞泉によると、
「山口県の下関のこと。下関の古称、赤間関(あかまがせき)を赤馬関とも書いたところからいう。」
とありました。
いつ「下関」という地名に変わったのだろう。
「日本地名辞典」(東京堂出版)によると、
「(前略)1889年4月1日の町村制施行時には県下唯一の市、赤間関市として発足。
(中略)1902年6月1日下関市に改称。
(中略)下関の名称は869年の官符にみえるのが文献上の初見で、
周防国(すおうのくに)熊毛郡竈戸関(かまどせき)を上関と称したのに対してよんだもの」
フムフム・・・・「下関」は古い地名のようですが、
第二次長州征伐(1866年)の頃は、「赤間関」「馬関」の地名が有力だったので、
「馬関の奇跡」なのでしょうか?
しかし、1863~1864年の長州藩と英仏蘭米との武力衝突事件は
「下関戦争(馬関戦争)」と呼ばれます。
日清戦争の講和会議(1895年)の条約名は「下関条約」です。
そうなると、「下関」「赤間関」「馬関」は並行して使われていた可能性があります。
愛知県がかつて尾張国と三河国に分かれていたように、
山口県はどうだったのだろう。
調べました。
周防国と長門国(ながとのくに)でした。
周防国が山口県の東南半分、長門国が西半分。
長門国が俗に長州とも呼ばれていて、中心部が萩でした。
長州藩の名称につながりました。
愛知県の東の片隅で、
山口県の地名についてあれやこれや調べてみました。
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