昨晩の高杉晋作3 晋作と龍馬が組んだ戦い
今日は9月27日。
昨晩の「龍馬伝」は、高杉晋作と坂本龍馬が手を組んで幕府軍と戦った
第二次長州征伐を放映していました。
長州側は四境(しきょう)戦争と言いました。
今書店に並んでいる月刊誌「歴史街道」10月号の特集は「晋作と龍馬」
タイムリーな特集なので、買って読みました。
この本によると、四境というのは、
いくつかある藩境の内、
山陽道の芸州口、山陰道の石州口、
関門海峡の小倉口、瀬戸内海の大島口の4か所を指します。
この4つの関門から攻め入ろうとする幕府軍と、
それを食い止めようとする長州軍との激突だったので、
四境戦争と言われます。
高杉晋作と坂本龍馬が組んだのは、
小倉口での戦いでした。下関海戦とも呼ばれます。
1866年6月17日未明から行われた戦いでした。
龍馬が乗っていた船はユニオン号と言う蒸気船。
グラバー商会を通じて長州藩が2万7千両で購入した船で、
幕府を欺くために名義は薩摩藩のものとし、
操船するのは龍馬率いる亀山社中でした。
したがって、船名も薩摩藩においては桜島丸、
長州藩では乙丑丸(いつちゅうまる)と呼んでいました。
雑然とあった記憶がつながりました。
ドラマ「龍馬伝」では、戦いはすぐに終わったように思えますが、
8月まで続きます。
命を振り絞って長州藩の勝利を導いた高杉晋作は、
翌年1867年4月14日に労咳(ろうがい)・肺結核で亡くなります。29歳。
同じ1867年10月14日、龍馬は朝廷に大政奉還を上奏。
11月15日に龍馬は京都の近江屋で殺されます。33歳。
下関海戦で大活躍した2人の命は、ともに1年前後だったのです。
やっぱり「龍馬伝」は大詰めです。
「歴史街道」10月号の1ページ目は、
黒鉄ヒロシさんが晋作と龍馬について書いた絵と文でした。
印象に残ったので、次の投稿で引用します。
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