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2026年3月18日

2026年3月18日 (水)

20250126金勝アルプス⑦ 逆さ観音/オランダ堰堤

    

今日は令和8年3月18日。

  

前記事に引き続き、昨年1月26日に歩いた金勝アルプスの

記録を書いていきます。

この橋を渡ると「逆さ観音」があるとのこと。

Img_9942

Img_9941   

Img_9939_3

「逆さ観音」の案内板。

  

この文章の中から一部引用。

  

一番不思議なことは、なぜ逆さになっているのだろうか

次に、なぜ三尊石仏なのに「観音」さんなのかしら

更に、大岩の一端が割り取られているのではないか

の疑問が湧いてくるでしょう。

元は、その上部の山上にあり逆さになっていなかったのです。

正しくは「阿弥陀三尊石仏」で、中央が「阿弥陀如来」、左右の

侍仏が「観音・勢至菩薩」なのです。

大岩の一端は、下流の「オランダ堰堤」築造時(明治二十二年完成)

に石材の不足が生じてそれに使われたのです。そのため、後にバラ

ンスを失い山上からずり落ちて逆さになったのです。

以来、身を削られ逆さになっても、地元の人々を大洪水から守って

いてくださると敬われています。

  

逆さ観音となったのは、明治22年(1889年)の「オランダ

堰堤」がきっかけだったのですね。

もっと古くから逆さ観音だと思っていました。

でも逆さになった理由がはっきりしているのはいいのかな。

「伝説で、・・・・・が理由で逆さ観音になったと言われている」

よりは、スッキリするかな。

  

これが逆さ観音です。

Img_9940

削れたところがよくわかります。

  

逆さ観音を見て、先を進みます。

Img_9943  

Img_9944

何か面白そうな人工物が見えてきました。

あの橋らしきものはなんだろう?

地図の⑨の場所です。

Img_7422

  

ここがオランダ堰堤がある場所でした。

Img_9946

Img_9945

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これがオランダ堰堤です。

Img_9947

ここにも、「逆さ観音」の案内板と同時期に作られた

案内板がありました。

こんな文章がありました。

  

昔、この一帯の森林はヒノキの美林であったが奈良時代から平安時

代にかけて、寺院・仏閣の造営に大量の材木が奈良・京都に伐り出

された。

このため、山は荒れて禿げ山になり、明治に至るまで大洪水がたび

たび起こり、下流の人々に大きな被害を及ぼし続けた。

そこで政府は、明治六年「淀川水源砂防法」を制定、淀川水系の

治山治水工事に着手しオランダから砂防工事の技術者ヨハネス・

デレーケ氏を招いた。

ここに現存するえん堤は、明治二十二年同氏の指導の下に作られた

割石積えん堤で、わが国最古のものと言われている。

なぜ、百年以上も経った現在もなおその機能を発揮し続けているの

だろうか。

その理由としては、水裏(下流側)の放水路面がアーチ型になって

おり、中央に水を集めることで、両袖部が削られにくい構造である

ことや、えん堤下流面を階段積み(鎧積み)にすることで、流水が

階段面に当たって衝撃を和らげ、水叩部の洗掘を防止する構造であ

ることなどが考えられる。

現在もなおその効力を発揮している巧みな構造技術であり、生きた

遺跡ともいわれ「日本の産業遺産三百選」に選定されている。

  

ここが不明「水裏(下流側)の放水路面がアーチ型」が難解。

ここはGeminiにまた聞きました。

  

1. もしも放水路が「平ら」だった場合(一般的な形)

Img_7620

 問題点: 水が横幅いっぱいに広がって流れ落ちるため、堰堤と川岸が

接している部分(両袖部)にも水が激しくぶつかります。ここが削ら

れると、堰堤全体が崩れる原因になってしまいます。

 

2. オランダ堰堤の「アーチ型」の場合

Img_7621

構造: 水が流れ落ちる部分(放水路面)の形を、まっすぐではなく中央

が低くなるようなアーチ型(ゆるやかなU字型)にしています。

効果: 水は自然と低いところ(中央)に向かって集まってから流れ落ち

ます。その結果、一番守りたい両端の岸(両袖部)に水が当たらなくな

り、削られにくくなるのです。

  

「放水路面」がわかっていなかったです。

堰堤の上部の水が流れる場所が「放水路面」であって、

上部に向かってアーチ型になっているんですね。

なるほどです。

でも、実際のオランダ堰堤を見ても、そのアーチが顕著ではないです。

まだ解決ではない状態で保留としたいです。

いつか確認したいです。

  

昭和に作られた砂防ダムなどは、この放水路面のアーチ方式を

採用していますね。

Img_7626_2 となりのカインズさん

Img_9949_2

デ・レーケの胸像。

Img_9951

やっぱり大水の時には沈んでしまう沈下橋のようです。

夏にはこの橋や、オランダ堰堤付近は、

水遊びをするために、子ども連れの人たちで賑わうようです。

しがそび オランダ堰堤 ってなんだ?! 大津市水遊びスポット

ここのサイトから写真転載。

Img_7624

この写真を見ると、少しはアーチ型がわかります。

真ん中に水流も集まっています。

Img_7623

Img_7622

いよいよ駐車場に戻ってきました。

Img_7625

13時23分でした。歩き出したのが午前7時54分。

5時間29分間山の中にいました。

  

以上で昨年の1月26日の山行の記録を終えます。

20250126金勝アルプス⑥ 歴史の生き証人「警笛鳴らせ」 

   

今日は令和8年3月18日。

  

前記事の続きです。

前記事に「南谷林道」の歴史について、

Geminiに尋ね、回答を前記事に載せました。

その最後の文章を転載します。

「特に印象に残った『人工物の痕跡』や風景などはありましたか?」

  

昨年1月26日に歩いた南谷林道にあった「人工物の痕跡」として、

「警笛鳴らせ」の古い標識の写真をGeminiに送りました。

その写真を再掲載します。

Img_9938_3

Img_9938_4

この時のGeminiの回答も良かったです。

ここに載せます。

  

あの錆びて古びた標識は、まさに南谷林道の「歴史の生き証人」の

一つです。

  

「警笛鳴らせ」標識(331)が語るもの

この標識は、日本の道路標識「警笛鳴らせ」(331)です。元は青

地に白の太い「X」印のような模様が描かれていました。

1. かつての「活気」の証明

これほど劣化し、自然に還りつつある標識がそこにあること自体が、

前回の説明を裏付けています。

• 車両の往来: この標識は、かつて南谷林道が、大型車両(ダンプ

カー、トラック、重機)が頻繁に行き交う、活気に満ちた「工事・

林業の大動脈」であった時代の遺物です。

• 安全確保の必要性: 山奥の見通しの悪いカーブや、道幅が極端に

狭くなる場所で、対向車と衝突しないよう、お互いにクラクション

を鳴らして存在を知らせる必要がありました。当時の運転手たちが、

この標識を見て緊張感を持ってハンドルを握っていた姿が目に浮か

びます。

2. 花崗岩の地質との関わり

金勝アルプスの地質である花崗岩は、前回の通り非常に脆い(マサ

土)ため、崩れやすい斜面を避けて林道を建設する必要がありました。

• 急カーブの多さ: そのため、南谷林道は沢沿いを縫うように、見通

しの悪い急カーブが連続するコースにならざるを得ませんでした。特

にこの標識が設置されている場所は、そうした注意が必要な要所だっ

たのでしょう。

• すれ違いの困難: 車道としての幅はあっても、脆い地質では路肩が

弱く、大型車両同士のすれ違いは命がけの作業でした。クラクション

による意志疎通は不可欠でした。

  

時の流れと、自然の力

現在は車両が通行しなくなり、標識は役目を終えました。錆びつき、

色あせ、周囲の苔むした巨岩や草木と一体化しつつあります。この

劣化の様子こそが、この道が「人々の闘いの場」から「自然に還る

道」へと変化したことを、何よりも強く物語っています。

あんな山奥に、ぽつんと残る「人工物の死に様」のような光景は、

廃道ファンや写真愛好家にとっては非常に魅力的な被写体ですよね。

周囲の花崗岩の荒々しい質感と、錆びた標識の対比が素晴らしいと

思います。

  

予想以上の量と質の高い回答でした。

こんなに往時が偲ばれるとは思いませんでした。

私たちが歩いた道は登山道でもあり、

林道の「廃道」でもあったわけです。

また歩く時には、そんなことを思い出しながら歩きたいですね。

きっと、この知識があると、よりたくさんの

「歴史の生き証人」が見つかると思います。

  

今回はここまで。

次の記事に続きます。

  

  

20250126金勝アルプス⑤ 第二名神の標識/南谷林道の歴史

    

今日は令和8年3月18日。

  

3月15日の記事の続きで、

昨年の1月26日の金勝アルプスの記録を書きます。

   

狛坂磨崖仏を見て、道を進めました。

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この分岐は地図の⑦です。

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ここからの道は、かつては林道だったのではと想像します。

道幅が広く、自動車も入れたように見えました。

  

Img_9935

この隧道の上は新名神高速道路です。

すぐ東に新名神金勝山トンネルの入り口があります。

金勝山という名前は存在していなくて、

金勝アルプスの山々を総称しています。

このトンネルは、地図で見ると、

狛坂磨崖仏の下付近を通過しています。

  

Img_9936

これは隧道を通過した直後に見たと思います。

1年以上前なので自信はないです。

とても年季の入った標識です。

いつ頃のものか気になり、Geminiに聞いてみました。

回答です。

  

この標識は、2005年(平成17年)10月より前(おそらく1990年代

〜2000年代前半の測量・初期工事の時期)に作られ、設置されたも

のと考えられます。

その理由は以下の2点です。

• 組織の民営化: 標識にある日本道路公団(JH)は、2005年10月1日

に民営化され、現在のNEXCO(このエリアはNEXCO西日本)へと

移行しました。

• 名称の変更: 「第二名神」という路線名も、一部区間の開通が近づい

た2007年(平成19年)に「新名神高速道路」へと正式に変更されまし

た。

すでに存在しない組織のロゴと旧路線名が記された、貴重な時代の遺

物と言えます。

  

「貴重な時代の遺物」

この言葉が魅力的です。

「第二名神」という言葉はまだ私の記憶にあり、

つい「第二名神」と言ってしまうことさえあります。

もう19年前に消滅した言葉なのに、

頭の中はアップデートできていません。

「NEXCO」も私には馴染みのない名前です。

  

邪魔じゃなかったら、このまま残してほしい標識です。

  

Img_9937

川沿いの道を進みます。

  

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これこそ、かつては自動車が走っていた林道である証拠でしょう。

「警笛鳴らせ」の標識。

これも古い。

こうなると林道を知りたくなりました。

名前を調べました。

「南谷(みなみだに)林道」or「奥谷南谷林道」

歴史を調べます。いろいろネットで探りましたが、

結局Geminiに聞いてみました。

とてもいい文章です。回答を載せます。

  

「かつては車も走れたような痕跡」という着眼点、素晴らしいですね!

まさにその通りで、南谷林道(奥谷南谷林道)はかつて、重機やトラ

ックなどの車両が通行できる立派な林道として機能していました。

現在のように車が走れなくなってしまったのには、金勝(こんぜ)ア

ルプス一帯の歴史と、この地域特有の地質が深く関わっています。

1. なぜ車が走れる林道が作られたのか?

(治山・砂防のメインストリート)

金勝アルプス一帯を歩いていると、天狗岩のような露出した花崗岩の

奇岩や、独特の植物相によく出会うと思います。実はこのエリアは、

奈良〜平安時代から都や寺院の建設のために過度な森林伐採が続き、

江戸時代には草木も生えない見渡す限りの「はげ山」となっていまし

た。

そのため、大雨のたびに下流の草津川に大量の土砂が流れ込み、深刻

な水害を引き起こしていました。これを食い止めるため、明治時代に

オランダ人技師デ・レーケの指導で入り口に「オランダ堰堤」が作ら

れましたが、治水工事はそこで終わりではありませんでした。

昭和にかけて、さらに山奥の南谷上流部へとコンクリート製の近代的

な砂防ダムを連続して建設し、はげ山に大量の苗木を植える(治山事

業)必要がありました。資材、重機、作業員を山の深部へ運び込むた

めの「工事用・林業用の大動脈」として切り拓かれ、拡張されたのが

南谷林道です。そのため、車道としての十分な幅が確保され、要所に

頑丈な石垣や橋が作られました。

2. なぜ今は走れなくなってしまったのか?

(役目を終え、自然に還る道)

かつてはトラックが行き交った林道が、現在のような荒れた状態(廃

道化)になってしまったのには、2つの大きな理由があります。

• 大規模工事の完了と役割の終焉:

100年以上にわたる人々の植林と砂防ダム建設の努力が実を結び、見

事に山に緑が戻りました。土砂流出が劇的に減り、大規模なダムを新

設する必要がなくなったことで、大型車両が頻繁に奥地へ入る必要が

なくなり、道路としての維持管理の優先度が下がりました。

• 花崗岩(マサ土)の脆さと自然の猛威:

金勝アルプスの地質である花崗岩が風化した「マサ土」は、非常に崩

れやすい性質を持っています。車両が入らなくなり、定期的な補修が

行われなくなると、台風や大雨のたびに斜面が崩落したり、路肩が沢

の水に削り取られたりします。地質的に極めて崩発しやすい環境であ

るため、あっという間に車が通れない状態になり、自然の力によって

現在の歩幅サイズへと浸食されていきました。

南谷林道を歩くと、足元に不自然に真っ平らな区間があったり、山奥

なのに立派な護岸や古いガードレールが残っていたりします。これら

は、「はげ山と戦った治山プロジェクトの巨大な遺跡」と言えます。

自然の猛威と闘ってきた歴史の痕跡を感じながらファインダーを覗い

てみると、風景の切り取り方もまた少し変わってくるかもしれません

ね。林道を歩かれた際、特に印象に残った「人工物の痕跡」や風景な

どはありましたか?

  

ね、すごい文章でしょ。 

山に入って、気がついたこと。

「この道はかつて自動車が走った道。でも今はとても走れない。」

それを調べていくと、こんな歴史に出合えました。

気づいたことにこだわると、こんなご褒美があるのかと

今回のことで思いました。

  

Geminiの文章の最後「特に印象に残った『人工物の痕跡』や風景な

どはありましたか?」の問いかけ。

私はこの問いに、先ほどの「警笛鳴らせ」の標識の写真を送りました。

どんな回答が来たか。

次の記事に書きます。 

  

  

  






  

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