地名「一言」→一言坂の戦い
今日は令和7年6月9日。
前記事に書いたことがちょっと恥ずかしい。
土日で通算9900本目まで書きたいと意欲を書きましたが、
なんと土日で書いた記事はその1本のみ。
予定は未定ですね。残念。
昨日は袋井市の可睡ゆりの園、
磐田市の磐田市竜洋昆虫自然観察公園に
共に初めて行きました。
その時に、変わった地名を見かけました。
「一言(ひとこと)」です。
磐田市の地名です。
Googleアースでその位置を示します。
なぜこのような地名ができたか。
参考になったのがこのサイト。
引用します。
(1)一言観音
徳川家康が一言坂の戦いで負け逃げているとき、一生に一度それも
一言だけ叶えてくれるという観音様に「助けてくれ」と頼んだとこ
ろ、戦運が有利になった。元は姫街道沿いの台地にあったが、今は
智恩斎(ちおんさい)前に移されている。
(2)一言坂の戦い跡
元亀3年(1572)武田信玄と徳川家康の戦いのあった所。家康
の家来本田平八郎忠勝が「とんぼ切り」という大槍で一人奮戦し、
味方の人達を助けたといわれている。
一生に一度それも一言だけ叶えてくれるという観音様が
名前の謂れのようです。
楽しい観音様です。
一言坂の戦い跡の写真を、やはりGoogleアースから載せます。
一言坂の戦いは、調べてみると、大河ドラマ「どうする家康」で
描かれた戦いだったと思い出しました。
動画で参考になったのがこれです。
2分30秒あたりから、一言坂の戦いの悦名があります。
三ケ野付近まで、偵察に来た家康軍は、
大軍の武田軍と遭遇して、望まない形での合戦となります。
居城であった浜松城まで退却したい家康軍。
後退していきますが、一言坂で追いつかれます。
ここで家康を逃すために奮戦したのが、本田忠勝。
三方原の戦いの前哨戦のような戦いでした。
本田忠勝の奮戦のおかげで、家康は浜松城に無事戻ることができました。
敵の武田軍は、本田忠勝を讃えて、次のような落書をしたそうです。
本多平八が忠勝のことを指します。
唐の頭とは、ヤクの毛で作られた飾りをつけた兜のこと。
※ヤクはチベットからヒマラヤ山脈にかけての高地にすんでいることから
「唐」と呼ばれた。(参考:気ままに江戸♪ 散歩・味・読書の記録)
一言観音の写真も紹介されました。
以上です。
地名が気になって、歴史の勉強ができました。
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