本「仏像のフシギ」② 木喰生誕300年記念グッズ
今日は令和7年3月5日。
前記事に引き続き、
「仏像のフシギ」(田中ひろみ著/小学館)
の93pからの引用。
木喰は享保3年(1718)、山梨の身延の名主の家に生まれました。数え
14歳で「畑仕事に行く」と言い残して家出し、江戸に向かったとされ
ます。22歳のとき、神奈川県伊勢原市の大山不動で出家しました。
「木喰」と名のるのは45歳になってから。木喰は本来、肉、米穀、野
菜、火の入った食物を摂らず、木の実や果実のみを食べる厳しい修行を
意味します。50歳で旅に出て、61歳で造仏を始め、北海道から九州ま
で遍歴しました。木喰仏の特徴である微笑仏を造るのは30歳を超えて
から。 83歳で故郷に戻りますが、85歳でまた旅に出て、91歳まで仏
像を造り、93歳で亡くなったとされます。
木喰は歌人でもあり、〈みな人の心を丸くまんまるにどこもかしこも
丸くまん丸〉といった和歌などを多く残しました。 没後は忘れ去られ
ていましたが、大正時代、民藝運動を主導した柳宗悦(やなぎむねよし)
により再発見されて注目を浴びることになります。
円空仏と木喰仏は、今も庶民に愛され信仰され続けています。
忘れられていたのが、大正時代に再発見なんて、
ドラマチックですね。
今回、木喰について動画でも勉強しました。
木喰の生まれ故郷の身延町には、
「木喰の里微笑館」があります。
その紹介動画です。
気になったのが
生誕300年記念グッズ。
Tシャツもあり、綿100%でないなら、手に入れたいですね。
ポロシャツも良さそう。
見延町も登山と兼ねて行けるところ。
行きたいですね。
生まれたのが1718年。
307年になるけど、今も売っているかな。
そのTシャツを着た人が登場。
この動画。
YouTube: 【悲運の僧侶】全国で仏像を彫りまくった木喰上人【解説】
この動画では、「四国堂事件」「続・四国堂事件」を紹介しています。
今ひとつ、地元では人気がなかった木喰のことがわかる
出来事です。
この動画からもう1枚写真。
人生61歳からも頑張れることを証明した人でもあります。
私も、退職してから面白い人生になったと思っています。
今日も面白い日にするぞ。
円空を調べていて知った木喰。
まだまだ知らないことはたくさんある世の中です。
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