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2025年2月15日 (土)

20250211本城山登山⑥ 本城山頂上 

   

今日は令和7年2月15日。

  

13日の記事の続きで、2月11日の登山のことを

書いていきます。

  

白滝を見た後に、本城山(ほんじょうざん)を目指しました。

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「あと3段」という案内板があります。

城址である本城山。頂上に向かっていく時に、

平らな場所が6段ありました。

これは曲輪の跡と思われます。

  

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「頂上まで100m」の案内板。

もう頂上は見えています。

  

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頂上の直前、井戸跡石垣跡の案内板。

頂上に行った後に行くことに、

まずは頂上を目指します。

  

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頂上直前。気持ちよさそうな頂上です。

  

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大きな岩のある頂上。

太陽光で温まった岩の上で昼食。

贅沢な時間でした。

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本郭(ほんぐるわ)

当時はおそらく6合目以上の樹木を切り倒して裸山とし、

60余の全ての曲輪の輪郭にはノボリを立てて虚勢を張りました。

(後略)

  

この説明で、イメージが浮かびます。

6合目以上にたくさんの旗がはためく城が浮かびます。

壮大だっただろうなと思いますが、

城を守る人たちは真剣、命懸けだったのでしょう。

私たちは同じ場所を、のんびりと登山。

幸せな時代を感じます。

  

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(前略)

1535年ころに築かれたこの山城の城主は、斉藤八郎左衛門宗雄と

言われます。美濃国の守護土岐頼芸(よりのり)と斉藤道三に対して、

土岐頼純(よりずみ)を支援して最後まで戦った武将で、この山城は

その本拠地=本城であったと考えられます。(後略)

  

土岐頼芸と斎藤道三は手を組み、一度は美濃国を治めました。

その後頼芸は道三によって美濃国から追い出されます。

そんな歴史を思い出します。

頼純は頼芸の兄。

大河ドラマ「国盗り物語」(1973年放映)の、

頼芸(金田龍之介)が、道三(平行幹二朗」に追い出されるシーンが

浮かぶんですよね。

ちなみに頼芸の読みは「よりのり」と読む可能性高し。

次の動画を参考にしました。


YouTube: 土岐頼芸の読み方について

  

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温度計は10度でした。ちょっと高くないか?

  

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