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2024年12月22日

2024年12月22日 (日)

山田五郎さん、二宮金次郎像を語る② 金次郎像の足を折った三河地震

   

今日は令和6年12月22日。

  

前記事の続き。

この動画に関したことです。


YouTube: 【日本中に作られた金次郎の謎】近年消えつつある二宮金次郎像 撤去すべき?残すべき?あなたの意見を是非コメント欄へ!民間の草の根パブリックアート🌱実は世界でも稀な芸術運動だった!【後編】山田五郎が解説

  

全国の小学校に二宮金次郎像がどんどん作られたのは

1928年(昭和4年)でした。

ここには、愛知県が絡んでいました。

    

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この年に行われたこと。

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昭和天皇即位御大典(ごたいてん)。

あちこちでお祝いの会や催しがありました。

名古屋では御大典奉祝(ほうしゅく)名古屋博覧会が行われました。

この博覧会に、岡崎市の石工(いしく)、長坂順治さんが、

石の二宮金次郎像を出品しました。

岡崎市は花崗岩がとてる場所で、江戸時代から石工品が有名。

日本三大石工品生産地に認定されています。

ちなみに三大石品生産地とは、岡崎市と

香川県の庵治、茨城県の真壁だそうです。

  

岡崎市の石工組合は、キャンペーンをはります。

出身小学校に二宮金次郎さんの像を寄贈しませんか。

最初は愛知県。

豊橋には金次郎像がありますよ。どうですか?と。

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長坂さんは、東京から高村光雲の孫弟子を招いて、

二宮金次郎像を作っていました。

その二宮金次郎像が大ヒット。

  

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愛知県だけでなく、全国で二宮金次郎像の寄贈ブームが起こりました。

  

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ただこの写真の二宮金次郎像は足がありません。

この像は、1928年の岡崎市石工が作った最古の二宮金次郎像。

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山田五郎さんは、やっぱり学校名を明かしていません。

でもネットでは、いろいろなサイトで紹介されています。

ここでは書いてしまいます。

愛知県立岡崎聾学校(西阿知和町)にあります。

Googleマップの地図で示します。

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実は昨日近くを自動車で走っています。

情報が一日遅かったです。

  

なぜ足がないか。

実は、他にも足がない二宮金次郎像はあるそうです。

その理由は、地震で足が折れたからです。

歴史が絡んできます。

昭和20年1月13日の朝3時38分に起こった三河地震によって、

金次郎像の足が折れたのです。

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折れた理由の一つに、石だったので、背負っているものが、

柴ではなく薪にしました。柴のように細かい細工は石ではできません。

その部分が重かったそうです。

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重さを二本足では支えることができずに、折れたのだそうです。

これ以後、その反省で、足元に切り株を作って補強をしたりしたそうです。

なるほど。あの切り株は、三河地震での反省を生かしたものなのだそうです。

前芝小学校、牛久保小学校の二宮金次郎像の足元には、

切り株があります。

あの切り株は、三河地震以後に作り加えた可能性があるわけです。

  

山田五郎さんの調べてお話ししたことの一部を

記事にしてみました。

山田五郎さんは、12月6日が誕生日で、66歳。

ガンと闘病中。生き延びてほしいです。

知識を楽しく語るおじさん。

その能力が羨ましい方です。  

  

岡崎市の石工についてまだ書きたいです。

次の記事です。


  






  

山田五郎さん、二宮金次郎像を語る① 豊橋市の小学校にある最も古い金次郎像

    

今日は令和6年12月22日。

  

山田五郎さんの調べ方は深いなあと思った動画です。

二宮金次郎について調べるとなると、

ここまで調べるんだと思った動画です。

前後編2本です。


YouTube: 【山田五郎が解説!なぜ二宮金次郎は全国の小学校にいたのか?】あなたの学校はどんな二宮金次郎像だった?〜学校にある不思議な美術〜 実は草の根パブリックアート🎨だった!?【前編】


YouTube: 【日本中に作られた金次郎の謎】近年消えつつある二宮金次郎像 撤去すべき?残すべき?あなたの意見を是非コメント欄へ!民間の草の根パブリックアート🌱実は世界でも稀な芸術運動だった!【後編】山田五郎が解説

 

これを見ると、なぜ柴(または薪)を背負った二宮金次郎が

誕生したかを、細かく調べています。

文章化されたのはいつか、絵に描かれたのはいつか、

その絵の起源になったのはなにか、

さらに立体像として誕生したのはいつかなど、

探っています。

そうかそんなところから調べていくんだと感心しました。

そして地元の話になってきます。

 

地元の豊橋市前芝小学校の二宮金次郎像については、

1本目(前編)の23分50秒から紹介しています。

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この動画では、前芝小学校の名前を伏せています。

学校は今もやっていて、勝手に入ることを防ぐためです。

写真の下にはこんな注意書きも。

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すみません、私は何度もこのブログで学校名を書いてきたので、

書いてしまいます。

私のブログを見て、前芝小学校に像を見に行く人は、

小学校の活動の邪魔にならないように、

常識的にアプローチして、見に行くようにしてください。

  

小学校にある最も古い二宮金次郎像。

この像の特徴は、まずコンクリートであったこと。

そして魚籠(びく)を背負っていることです。

前芝小学校付近には山がなく、柴(薪)がなかったし、

漁村だったので、魚籠を背負っているのです。

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この像を建てようと動いたのは加藤六蔵さん。

加藤さんは、二宮尊徳の考え方「報徳思想」を

重んじていた人でした。

当時の皇太子(後の昭和天皇)御成婚のお祝いで、

出身小学校に二宮金次郎像を寄付して、

子どもたちに、金次郎さんみたいに勉学を頑張りんよと

いう気持ちだったようです。

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加藤六蔵さんの書生をしていた藤原利平さんが、

上京して彫刻家として活躍していました。

そこで加藤さんが藤原利平さんに注文して作らせたのが、

この像でした。

1924年(大正13年)のことでした。

  

前芝小学校の二宮金次郎像については、

昨年も書きました。

ここでも道草 豊橋市立前芝小学校の二宮金次郎像(2023年12月7日投稿)

この時の情報に付け加えることができました。  

  

藤原利平さんが、牛久保小学校の二宮金次郎像を作ったのは、

昭和2年(1927年)。

金次郎像ブームが起こるのは、昭和3年(1928年)。

山田五郎さんの後編動画は、このブームのことを詳しく紹介していました。

次の記事で。

  

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