原爆とトルーマン大統領
今日は令和6年2月8日。
今度の土曜日にサークルがあります。
前回、サークルがあったのは、
1月21日でした。
その時に、「原爆投下はアメリカの汚点」というタイトルで、
A4サイズ8枚のレポートで報告された方がいました。
日本に2つの原爆が落とされたのは、
原爆投下に積極的だった当時大統領の
トルーマンの判断だったというものです。
戦争を早く終わらせ、多くのアメリカ人だけでなく、
多くの日本人の命を救うためにというのが、
原爆を落としたアメリカの理由になっています。
それもトルーマンが言ったことでした。
本当の理由を隠すための方便なのです。
原爆を落とさなくても、日本は降伏するつもりだったのです。
トルーマンは工作して、日本の降伏を遅らせてまでして、
トルーマンは、原爆を投下したかったのです。
さらにもう一人、原爆投下当時国務長官バーンズの名も出ました。
バーンズも投下に積極的でした。
戦後のアメリカが優位な立場に立てるように、
原爆投下を実行したのです。
「トルーマンとバーンズは、間違いなく極悪非道の殺人犯」と、
レポートに書かれていました。
参考文献は、「原爆 私たちは何も知らなかった」
(有馬哲夫著/新潮新書)です。2018年の本です。
この報告を聞いて、ずっと昔の記憶が浮かび上がってきました。
トルーマンは、実は投下には積極的ではなかった。
トルーマン以外に、積極的な人がいて、
その人が最終的に大統領の許可を得ずに、
原爆投下の最終命令を出した。
トルーマンは、自分が命令を出していないのに、
原爆が投下されたことを、船上で知って、
急遽、演説をした。
そんな記憶です。
どの資料を見たのか不明です。
土曜日のサークルの前に、ネットで調べておこうと思いました。
調べました。
そして突き止めました。
2016年8月6日に放映された番組を見ていたのです。
「決断なき原爆投下〜米大統領 71年目の真実〜」です。
8年前にこの番組を見た時の記憶が、
蘇ってきたのだと確信しました。
調べたら、ちゃんと録画してありました。
でも動画でも見ることができました。
この番組で紹介されているトルーマン大統領は、
極悪非道の殺人犯ではなかったです。
原爆投下の中心人物は、原爆開発の指揮官、
陸軍のグローブス将軍でした。
この番組の中心は、1970年にグローブス元将軍に、
インタビューした音声が中心になっています。
このインタビューの3ヶ月後、グローブスは病死しています。
貴重なインタビューとなりました。
当時、グローブス将軍は焦っていました。
多額の資金を注ぎ込んで行われたマンハッタン計画。
そこでできた原子爆弾。
これを使わなければ、議会から糾弾されると考えたようです。
日本が降伏される前に、原爆投下をしたかったのは、
グローブス将軍でした。
トルーマン大統領は、原爆の目標は軍事施設だという考えでした。
グローブス将軍は、候補に「広島」を挙げ、
広島が軍事都市であると説明していました。
広島に原爆が落とされたことを、
ポツダムから戻る船上で聞いたトルーマン大統領は、
演説をします。
その中で、こう言っています。
広島が軍事都市であるという陸軍の説明を信じた演説です。
そして私が引っかかるのは、次のことです。
グローブス将軍が起草した原爆投下指令書。
内容は、具体的に投下地点が記されています。
番組のナレーターが言います。
この原爆投下指令書をトルーマンが承認した事実を示した記録は
見つかっていません。
大統領の明確な決断がないまま投下されることになった原爆。
人類初の大量殺戮兵器の使用は、軍の主導で進められていきます。
グローブス将軍の構想では、17発の原爆を日本に落とすものでした。
想像を絶します。
2発の原爆投下による惨状を知ったトルーマン大統領は、
これ以上の原爆投下を中止する命令を出します。
グローブス将軍は、次のように言っています。
トルーマン大統領によって、3発目の原爆投下は、
防がれたのです。
この番組では、バーンズ国務長官は出て来ませんでした。
逆にレポートには、グローブス将軍の名前は
出てきませんでした。
歴史の真実はどうなんでしょう?
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