20231104高天神城址 本丸跡にあった石碑
今日は令和6年1月7日。
前記事の続きです。
本丸跡です。
ここでたくさんのササクサを見たことは、以前書きました。
ドングリがなる木がありました。
Googleレンズだとコナラとウバメガシのどちらかと判定。
どっちだろう?
本丸跡にあった石碑。
「西南之役樹勲紀念」と書かれています。
「樹勲」は「じゅくん」と読んで、「功を立てる」の意味が
あるようです。参考:コトバンク
西南の役に赴いた人たちのために立てた石碑でしょうか。
これも本丸跡にあった石碑。
「陸軍歩兵一等卒・春田啓作君之碑」とあります。
「明治廿七年没」と読めます。
明治27年〜28年の日清戦争で亡くなった方の石碑でしょうか。
春田さん、どんな方だったのでしょう。
この石碑を建てた人たちは、
どんな人たちだったのでしょう。
やっぱり高天神城址の近くに住んでいた人たちかな。
130年前の戦争。関係者は亡くなり、石碑は残ったという感じです。
おっと説明が書かれた案内板がありました。
顕彰碑でした。
顕彰碑とは?
Wikipedia 顕彰碑より引用。
個人の著名でない功績や善行などを称えて、広く世間に知らしめるために
建てられる石碑などのこと。
「著名でない」がキーワードですね。
一人の兵士の死を、後世に残したいという気持ちが伝わります。
「高天神城址」と書かれています。
案内板によると、
「高天神城の模擬天守(鶴翁閣)を作られた海軍少佐・医学博士の
加藤安吉氏を顕彰された事を記念し、昭和九年地元の青年団により
建立された。」とあります。
このサイトの方は、加藤安吉さんについて調べています。
次のように書いています。
加藤安吉氏が気になって
ネットで調べると、
連合艦隊の軍医長も
務めている方で、
最終階級は軍医少将のようです。
ネット社会は、
便利で楽しいですね(笑)
私も、きっと調べたであろう場所を見ました。
加藤さんは、昭和20年5月26日に亡くなっています。
気になって調べると、新たなことがわかるネットは、
私も楽しんでいます。
御前曲輪。
実際に、「火ヶ峰砦」を見てみました。
写真通りの「火ヶ峰砦」が見られました。
徳川家康が高天神城を攻めた時には、徳川軍の砦でした。
こんな目の前に敵がいるなんて、
恐ろしいことだっただろうなと、思いを馳せます。
コメント