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2024年1月 7日 (日)

20231104高天神城址 本丸跡にあった石碑

  

今日は令和6年1月7日。

  

前記事の続きです。

  

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本丸跡です。

ここでたくさんのササクサを見たことは、以前書きました。

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ドングリがなる木がありました。

Googleレンズだとコナラとウバメガシのどちらかと判定。

どっちだろう?

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本丸跡にあった石碑。

「西南之役樹勲紀念」と書かれています。

「樹勲」は「じゅくん」と読んで、「功を立てる」の意味が

あるようです。参考:コトバンク

西南の役に赴いた人たちのために立てた石碑でしょうか。

  

Img_2651

これも本丸跡にあった石碑。

「陸軍歩兵一等卒・春田啓作君之碑」とあります。

「明治廿七年没」と読めます。

明治27年〜28年の日清戦争で亡くなった方の石碑でしょうか。

春田さん、どんな方だったのでしょう。

この石碑を建てた人たちは、

どんな人たちだったのでしょう。

やっぱり高天神城址の近くに住んでいた人たちかな。

130年前の戦争。関係者は亡くなり、石碑は残ったという感じです。

  

おっと説明が書かれた案内板がありました。

Img_2652_2

顕彰碑でした。

顕彰碑とは?

Wikipedia 顕彰碑より引用。

個人の著名でない功績や善行などを称えて、広く世間に知らしめるために

建てられる石碑などのこと。

  

「著名でない」がキーワードですね。

一人の兵士の死を、後世に残したいという気持ちが伝わります。

  

Img_2653

「高天神城址」と書かれています。

案内板によると、

「高天神城の模擬天守(鶴翁閣)を作られた海軍少佐・医学博士の

加藤安吉氏を顕彰された事を記念し、昭和九年地元の青年団により

建立された。」とあります。

このサイトの方は、加藤安吉さんについて調べています。

旅人のブログ 高天神城(静岡県掛川市)その2

次のように書いています。

  

加藤安吉氏が気になって

ネットで調べると、

連合艦隊の軍医長も

務めている方で、

最終階級は軍医少将のようです。

ネット社会は、

便利で楽しいですね(笑)

  

私も、きっと調べたであろう場所を見ました。

The Naval Data Base

加藤さんは、昭和20年5月26日に亡くなっています。

気になって調べると、新たなことがわかるネットは、

私も楽しんでいます。

  

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御前曲輪。

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実際に、「火ヶ峰砦」を見てみました。

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写真通りの「火ヶ峰砦」が見られました。

徳川家康が高天神城を攻めた時には、徳川軍の砦でした。

こんな目の前に敵がいるなんて、

恐ろしいことだっただろうなと、思いを馳せます。

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