八名信夫さんの動画を見て
今日は令和5年12月24日。
前記事の続きです。
八名信夫さんの動画を再掲します。
YouTube: 【戦後78年】俳優・八名信夫さん「地獄を語る。俺の義務」 9歳で岡山空襲を経験して【字幕あり】
今年の8月にアップされた動画です。
「終戦の日に合わせて」というテロップがあるので、
8月15日でしょう。
最初は八名さんの戦争体験について語っています。
校庭に入ったらすぐにね、竹槍があった。
竹槍が2本あってね。
藁人形が、こうやって2本立っていて、運動場に。
それをね、上級生と一緒に、エイと突くの。
それがね、ルーズベルトかチャーチルだったか、
2体あったわけ。
それを突いてから、授業の教室に入るのだけれども・・・
学校はそんなことをやらせていたのですね。
敵の親分を突くんだ。
子どもは疑問なく突いちゃうだろうな。
昭和20年6月29日の岡山大空襲の体験談を語ります。
夜中の4時過ぎに親父が、
「お前ら、はよう起きい!」と怒鳴ってな、
そしたら、音がドサっとドサっとして
家がガタガタと揺れて、
僕はね、家に防空壕があったんですよ。
一畳ぐらいのね。
畳をあげたらそこに、3〜4人くらいは入れる、
穴を掘ってあったの。(中略)
そこに逃げようと思って、畳を上げたら、親父が、
「バカモンがあ。防空壕なんて入るんじゃねえ」
「お前ら後楽園に逃げえ、わしは駅に行く。
(父は)駅員だった。駅に勤めていた父親は。」
外に出たら、目の前の家から火が噴き出ていました。
それで今だに忘れることができないのはね、
同級生だな、女の子でね、
その燃えている玄関のところから、
こうやって這い出してきた。
それがね、普通、煙が体から出るんじゃなくって、
水蒸気、蒸気がムワッと出たまんま、這い出てきて
わめき、
それでね、俺はね、今でも、手を貸してあげなかったのか、
もう半分亡くなっていた。
「助けて」となんかわめいていたんだけど、
俺、怖くてね、湯気を出している体が。
「どうしよう、どうしよう」と言って、
手を貸してあげないでね、俺は逃げてしまった。
本当に地獄だね。
おそらくその同級生は亡くなったと思う。
すごい体験です。
人間の体の多くは水分です。
火事によって体が熱せられて、
それが湯気となって出たのでしょう。
火事の熱によって、人間はすぐに燃えるのではなくて、
湯気が出るんだ。
恐ろしいことだと思います。
このサイトによると、空襲は、空襲警報が発せられずに、
不意打ちだったそうです。
八名さんの証言でも、空襲警報には触れていません。
お父さんに起こされて、気がついています。
1737人が亡くなっています。
岡山城天守などの文化財も多く燃えています。
ジプリの高畑勲さんも、八名さんと同じ9歳で空襲に遭い、
その体験が、後の映画「火垂るの墓」の空襲の描写で
活かされたそうです。
Yahoo!ニュース 真之 「同級生を見捨ててしまった……」悪役商会・八名信夫が見た岡山空襲の夜 2019/11/11(月) 配信
Wikipediaからこのサイトへのリンクがありました。
向かいの家の女の子の様は、
八名さんには忘れられないことですよね。
動画12分20秒あたりからの、高倉健さんとの話が面白い。
銃で撃たれて倒れる役者さんを見て、
自分ならもっと上手く倒れることができると考えた八名さん。
182センチの大柄な体を活かし、
トレンチコートを着て、倒れながら、
トレンチコートの中に空気を溜め込んで、
地面に用意された灰の上で倒れて見せました。
灰はブワッとたちのぼり、迫力ある倒れ方ができました。
喜んでね、健さんが。
八名、お前が倒れると迫力があるな。
監督、八名、いいよな。
・・・・最高ですね。
高倉健さんは昭和6年生まれ。(父親と一緒だったんだ)
八名さんは昭和10年生まれ。
八名さんにとって、健さんは憧れだったのでしょうね。
その健さんに認められて、八名さんは悪役の道を進み出しました。
Wikipediaに次のように書いてありました。
ほか、阪神・淡路大震災や東日本大震災、熊本地震(2016年)など
の被災者を激励したり、その想いを反映した映画を制作したりもしてい
る。
自分のポケットマネーを使って、2本映画を監督・脚本・出演で撮っています。
気になる映画です。
「おやじの釜めしと編みかけのセーター」(2016年)
「駄菓子屋小春」(2018年)
町内会の映画会で見てもいいよなあ。
八名信夫さんが来てくれたら、
地元の高齢者も喜ぶだろうな。
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