本「日本国紀 下」/高輪築堤 戦争に勝てば金になる 中国の復讐心
今日は令和5年11月4日。
前記事に引き続いて、
「日本国紀 下」(百田尚樹著/幻冬舎文庫)
から引用していきます。
明治五年(一八七二)に日本初の鉄道が「新橋横浜」間(約二九キロ)で
開通しました。私はこの事実に驚愕します。鉄道計画が始まったのは
明治二年(一八六九)十一月、測量が始まったのは明治三年(一八七〇)
三月です(戊辰戦争が終わったのが前年の五月)。そこからわずか二年
半で最初の鉄道を開通させたことはまさに驚異以外の何物でもありま
せん。
しかもこの時の鉄道は約一〇キロも海の上を走らせています。という
のも、兵部省が高輪の土地を「軍事上必要であるから手放せない」と
測量さえ許さなかったからです。それに怒った大隈重信が「ならば海
の上を走らせろ」と命じ、 「芝一品川」間海上に堤防を築き、その上
に線路を敷いたのです。これは高輪築堤と呼ばれるもので、平成三一
年(二〇一九)に品川駅改良工事の際に当時の石垣の一部が発見されて
います。
(75〜76p)
平成31年のニュースは聞いたことがあります。
調べました。
この絵のように、鉄道は海上を走っていました。
堤の途中が切れていて、船が通過しています。
そして発見された高輪築堤跡(たかなわちくていあと)。
船が通過したところだと思われます。
このニュースを見たんだよなあ。
しかし清から得た二億テールという莫大な賠償金(当時の日本の国家
予算の四倍)と遼東半島の還付金三千万テールは日本の財政にとって
は大きな助けとなります。そのため多くの国民が「戦争に勝てば金に
なる」という誤った意識を持ってしまいました。この意識が後に日本
を危険な方向へ導くもととなったといえます。
(104〜105p)
日清戦争の勝利が、次なる大きな戦争への参戦を決断させたのですね。
なるほど。
このように十九世紀後半から二十世紀前半にかけて、列強と日本は、
中国をむさぼり続けます。
私見ですが、これほどまで国を蹂躙された恨みが残らないはずはな
いと思います。二十一世紀の現在、巨大な「怪物」となった中華人
民共和国が、覇権主義的な野望を隠そうともせず、世界の国々に脅
威を与えているのは、もしかしたら百年以上前に味わった恥辱を晴
らしたいという潜在的な復讐心からではないかという気さえします。
そう思うと同時に、やはり歴史というものは長い目で見る必要があ
るという気にもさせられます。
(107p)
そうか、その視点は気がつきませんでした。
中国は100年前の恨みを晴らそうとしている可能性があるなと
思いました。
中国は常軌を逸しているように見えますが、
その原因は、他の国にあるという考え方。いいですね。
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