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2023年7月24日 (月)

本能寺の変で、信忠と命を共に散らした団忠正

    

今日は令和5年7月24日。

  

7月23日放映の大河ドラマ「どうする家康(28)本能寺の変」で、

このドラマの本能寺の変が描かれました。

Yahoo!ニュースでは、この大河ドラマは子どもに見せてはいけないと

書いている歴史家の方もいました。

新旧の説を混ぜて、脚本家の独創性がたっぷりのストーリーは、

誤った歴史観を植え付けてしまうと危惧してのことでしょう。

確かに、私も、社会科の授業で、

今回の大河ドラマは使わないだろうなと思います。

録画はしておいたけどね。

  

この放映に合わせて、動画もだんだん発信されています。

この動画を紹介したいです。


YouTube: 本能寺の変の後、織田信忠はどうしたのか? #どうする家康

  

本能寺で信長が討たれた後に、

明智軍は、信長の嫡男の織田信忠と戦っています。

信忠は二条城に籠って戦いますが、

劣勢となり、腹を切って死にます。

その歴史について語ってくれています。

勉強になりますよ。

  

この動画の中で、信長の五男、御坊丸も戦って

討ち死にしていることに触れています。

御坊丸については、以前記事に書きました。

ここでも道草 岩村城跡/本能寺で死んだ御坊丸について(2023年5月7日投稿)

この記事で、もう一人、

二条城で死んだ人物について調べたいと書きました。

その人は、団忠正。

5月3日に岩村城に行った時に、幟を見つけています。

Img_0091

団忠正とは?

Wikipedia 団忠正

このサイトによると、最初は信長に仕えていたが、

途中から信忠に使えるようになります。

活躍により、岩村城主になります。

しかし、二条城の戦いで信忠と戦死します。

  

団忠正を語るときに、森長可(ながよし)も重要みたいです。

織田信長の甲州征伐では、総大将の信忠の家臣の2人は、

大活躍をしたようです。

先走って攻撃を仕掛けて、信長に注意を受けるくらいで、

血気盛んな2人の武将だったようです。

森長可については動画がありました。


YouTube: 【漫画】森長可の生涯~戦国時代で最も狂暴な男~【日本史マンガ動画】


残念ながら、この動画には団忠正は出てきませんが、

団忠正亡き後に、岩村城を森長可が接収して城代になり、

小牧・長久手の戦いで森長可の死後は、

弟の森忠政が城代になっています。

  

甲州征伐における2人の活躍は、調べる価値がありそうです。  

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