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2023年1月 2日 (月)

「無人島のふたり」⑨ 「明日また書けましたら、明日」

    

今日は令和5年1月2日。

  

前記事に引き続き、

「無人島のふたり 120日以上生きなくっちゃ日記」

(山本文緒著/新潮社)より引用していきます。

   

2021年10月13日に亡くなった山本文緒さんの日記です。

  

8月17日の日記です。

  

先日S社のSさんからもらった12年前の写真をよく見る。

私の隣には元担当編集者のユカさんがおっとり優しく、ご本人の人

柄がよく出ている花のような笑顔で立っている。きれいな髪と内側

から発光するような白い肌は、彼女に幸せしかもたらさないように

見える。

でもユカさんはこの6年後の2015年にがんで亡くなってしまっ

た。

面倒見のよいユカさんのまわりにはいつも人が多かったので、それ

だけ悲しんだ人も多くて、私もユカさんの死に打ちのめされたうち

の一人だった。

元気にあふれ、スポーツが好き(得意)で、人に気を配り、楽しい

ことが好きで、仕事が好きで、おいしいものが好きで、犬が好きで、

笑うことが大好きだったユカさんが、まさか、よりによってがんで

死ぬなんて、とショックを受けて、長い時間立ち直れなかったのに、

今度は私だなんて。

(130~131p)

  

「よりによってがん」の表現に注目。

幸せしかもたらさないようなユカさんを襲ったがん。

それは幸せの対極にあるとても酷な病気という意味だろうか。

治すことが難しく、余命を宣告されるがん。

なんと恐ろしい病気と人類は対面しなくてはならなくなったのか。

「今度は私だなんて」

容赦ないがんの性質を表していると思います。

先日のサークルで、教えてもらったこと。

人間の体では、毎日5000個のがん細胞ができています。

その都度、制がん物質が、そのがん細胞を殺しているのです。

5000勝0敗ならば、がんにはなりません。

殺しそこなったがん細胞が、塊となってがんになるのです。

薄氷を踏むような危うさで、私たちの健康は維持されているのです。

  

上の文章の続きです。

私はこの病気になって、そんなに自分の病気について実は調べていな

い。最初から”治らない”と言われていたというのもあるけれど、私は

がんについて考えるのが恐かった。

がんって何なのだろう。いやそれは医学的にはもちろん(私でも)多

少は分かっているけれど、ユカさんだけでなく、58歳にもなれば、

ずいぶん沢山の知人ががんで亡くなっている。

ブラックホールに吸いこまれるように、ひゅっと命をとられている。

ユカさんは強い人だったから、がんに打ち勝とうと最後まで闘ってい

た。最後の最後まで新しい治療薬を試そうとしていた。

でも内心は怖かったに違いない。ブラックホールがすぐ足元まで来て

いる気がして何度も泣いたに違いない。

最後にユカさんのお見舞いで病室に行った時、彼女はいつもの笑顔を

見せてくれたけれど、車椅子に乗って酸素の管をつけていた。

「これ、お見舞いでもらったわらびもち、おいしいから一緒に食べよ

う」と言って出してくれた。私はあんな風に最後に笑えるだろうか。

(131~132p)

  

私は今はがんに対して関心が高いです。

それはきっと、現在がんでないからです。

少なくともがんと言われていないからです。

がんが客観視できるのです。

実際にがんになったら、山本さんのように、

がんについて考えることが恐くなってしまい、逃げると思います。

もちろん、なってみないとわからないのですが、

山本さんの日記が参考になります。

今のうちにがんについて勉強して、予防できるなら実行。

がんになった人の話をたくさん知って、

本当にがんになってしまった時の生き方を

シュミレーションしておきたい。

そんなことを考えています。

  

  

10月4日の日記です。

  

昨日から今日にかけてたくさんの妙なことが起こり、それはどうも

私の妙な思考のせいのようだ。これでこの日記の二次会もおしまい

になる気がしている。とても眠くて、お医者さんや看護師さん、薬

剤師さんが来て、その人たちが大きな声で私に話しかけてくれるの

だけれど、それに応えるのが精一杯で、その向こう側にある王子の

声がよく聞こえない。今日はここまでとさせてください。明日また

書けましたら、明日。

(168p)

  

この日記が最後です。

山本さんは、9月21日の日記で、この日記の中締めとしたい、

これ以後は二次会でと書いています。

その二次会が終わることを的中させています。

そこに恐れの気持ちはないように思います。

眠くて、意識が遠のく感じです。

本当の最後はこうなってほしいです。

まるで毎日布団に入って寝るように、眠って死を迎えたいです。

「明日また書けましたら、明日」

最後まで書くことにこだわった作家らしい締めの言葉です。

  

  

以上、「無人島のふたり」からの引用は終了です。

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