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2022年12月13日 (火)

「ミャンマー現代史」⑧ 1988年に偶然ヤンゴンにいたスーチー氏

     

今日は令和4年12月13日。

  

前記事に引き続き、

「ミャンマー現代史」(中西嘉宏著/岩波新書)

より引用します。

   

アウンサン・スーチー氏に関する記述を引用します。

  

 民主化勢力、なかでもスーチーが軍にとって脅威だったのは、こう

した危機管理型の統治に真正面から挑戦する指導者だったからである。

 カリスマといわれるように、スーチーの演説の才と人気は際立って

いて、遊説のたびに老若男女、実に多様で大勢のひとびとが、彼女の

話を聞きに集まる。これは社会を統制したい軍にとっては、脅威にほ

かならない。また、ノーベル平和賞をはじめ、人権と民主主義の象徴

として、彼女がしばしば欧米の国々や団体から受けた賞賛は、軍の目

には内政干渉と映る。

 軍は、この「脅威」であるスーチーを、断続して合計約15年もの

間、ヤンゴンのインヤー湖南岸にある自宅に軟禁した。スーチーには、

英国人の夫とふたりの息子がロンドンにいて、出国を望めばいつでも

できただろう。しかし、一度国外に出たら再入国は許されそうにない

なか、ミャンマーに残って非暴力闘争を続け、1999年には夫と死

別している。

 1988年以降、軍の統治に対するスーチーの挑戦がこの国のダイ

ナミズムを生んでいく。民主化勢力の成功物語ではないが、軍による

一方的な強権的支配の歴史でもない。国際社会も巻き込んだ複雑な力

学がある。

(25p)

  

「ダイナミズム」とうい表現が重要です。

意味は力強さ、迫力の意味。

スーチー氏の登場で、ミャンマーは注目され、

多くの国が関係を持とうとしたのです。

1988年は大きな変革の年でした。

  

 1988年にミャンマーは大きく変わった。政治体制が変わり、経

済体制も変わった。なかでも重要なのは、アウンサンスーチーが指導

者として登場し、国民民主同盟(NLD)が軍の統治に抵抗する主流

派を形成したことである。

(30p)

  

1988年に、スーチーがミャンマーにいたのは偶然でした。

母親がインド大使就任したことで海外の生活が始まったのは

1960年。それ以後彼女の生活の基盤はイギリスでした。

1972年に英国人マイケル・アリスと結婚。2人の息子をもうける。

ミャンマーのヤンゴンで暮らす母親が体調を崩したことで、

約30年ぶりにミャンマーに帰国したスーチー氏。

  

 当初、現地社会からはやや浮いた存在だったようだ。ヤンゴン大学

の敷地は、スーチーの家から1キロ程度と目と鼻の先なのだが、彼女

の帰国は知らされていなかった。彼女がヤンゴンにいることを多くの

ひとが知ったのは、殉教者の日(7月19日、アウンサンら1947

年に暗殺された指導者たちを追悼する祝日)の式典に出席する様子を

国営テレビや翌日の国営紙が伝えたためである。ネーウィンの辞任で

勢いづく学生たちは、自分たちの声を大衆の声に変えられる指導者を

必要としており、彼女が運動に参加することを望んだのはまったく不

思議ではなかった。スーチーは学生たちの要請に応える。

(38p)  

   

人の人生はどう転ぶかわかりませんね。

約30年ぶりにミャンマーに戻ったタイミングで、

反政府の学生活動に出くわしたのです。

学生の要請に応えて、はや34年。

難しいミャンマーの政治を、どうにかしようと挑戦した

アウンサン・スーチー氏。

この本を読んで、興味は高まりました。

  

  

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